昨年秋の新潟市長選をきっかけに、いろいろな地方の県庁所在地、中核都市で、反自民、非自民を標榜する無党派・市民派の市長がぞくぞく出始めました。それが県知事レベルで宮城県、高知県、三重県、そして長野県という、大都市地域ではないところで同じような現象が起きました。日本の選挙の構造というのは、非常に大きく様変わりしつつあると思います。
無党派層の現象というのは、国政の上では70年代の中ごろ、自民党支持者よりも、無党派層、あるいは支持なし層というのが第一党になりました。自民党は無党派層の票を吸収できる候補、例えば海部さんなどを立てて、ようやく政権を維持する。今、小泉さんは無党派層を引き付ける、選挙に勝てる唯一の候補というかたちでいるわけです。
地方政治においては、地方の首長をはじめ地方議会の議員もみんな無所属保守というのが圧倒的で、自民などの公認で戦うという形は、60年代からないわけです。これは、戦後から60年代、70年代の半ばにいたるまで、日本の地方政治の最大の争点というのは、中央からいかに金を獲得するかでした。日本の3割自治といわれる地方財政の構造に起因するわけですが、自民党が60年代、田中政治のころから補助金をばら撒いて地方を支えるという意図的な政策に出た。その補助金を獲得するために、中央に顔の利く議員を選ぶ。有力な官僚、とりわけ建設関係の官僚です。この官僚はみんな無党派ということを標榜して立つわけです。当選すると自民党政府と基本的に一体化します。
滋賀県に有名な武村正義さんという知事がいらした。武村さんは、八日市の市長から始めましたが、なんと共産党と民社党までが一緒になって武村さんを推した。自民党系の地元の土建業者代表みたいな候補を打ち破って、彼は最後に滋賀県の知事になった。滋賀県では無投票ということで、野党は全部武村さんを支持する。自民党も反対しない。それが2期、3期と続いた挙句、武村さんは辞めるときには完全に保守系になっていたわけです。自民党の福田派と非常に密接なコネがあったわけですが、結局「さきがけ」という党を立ち上げました。
このように仕立てていく地方政治の基本構造というのが、いまだに地方では基本的に続いているといわざるを得ない。私は20年来、秩父の山村に仕事場をつくり、今ほとんどそこで暮らしていますが、ここから政治というものを見上げてみると、非常によくわかります。地元でちゃんと寄り合いがあって、私は出ませんが、「先生、寄り合いで推薦を決めたから。先生も推薦人の中に入っているからな」と。その候補者が道路をつくってくれる。私が行ったときは、ガタピシ道路だったのが、その候補者のおかげで山の上までちゃんと舗装された。そうすると、何百年来、谷間沿いにみんな住んでいたのが、山の南向きの斜面は暖かくて空気がきれいだと、山の斜面にみんな家をつくった。これは大変な変革なんです。村ぐるみで保守系の候補者を推す、70数%が投票する。しかも、村の人たちは自民党に投票している気はさらさらないわけです。
60年代のいわゆる大都市革新、大都市の住民自治といわれるものは、60年代の中ごろから始まり、ほぼ10年間、日本の大都市地域を制圧したわけです。総評系の組合などが、それまで安保や自衛隊などで戦ってきたのが、生活中心主義にスローガンを変えた。高度成長時代に大都市における人々の生活環境が、人口の急速な過密、集中で、急速に悪化したという問題に対応しているわけです。美濃部さんが、東京都知事選で住民が一番必要としているのは福祉だと。あのときの要求の一つは、高校全入でした。子どもが全員都立高校に入れるように高校を、それから、保育所をつくれ。そういう種類の要求が生活要求だったわけです。
これは、革新政党に対しても反省を促す。組合などを単位に票を集めていますが、組合は地域では組織をもたない。住民組織というものが、どんどん名乗りを挙げて、革新都政、革新市政というものをバックアップする。最初は、横浜の飛鳥田さんが、1万人集会だとか、いろいろなことを打ち出された。しかしそれは果たしてどれだけ根が深いものに発展していったかというと、それは疑わしいわけです。
やがて、これまでのような福祉ばら撒きでは駄目だと自民党が巻き返しを図った。70年代の中ごろです。自治官僚を中心とした、新しい保守無党派の政権をつくろうとしたわけです。これに対抗して、神奈川県では長洲さんが「地方の時代」というテーマを提唱した。これからは文化の時代、地方文化、あるいはコミュニティの時代、それをつくっていくのが新しい地方の革新の主題なんだと。別な言葉でいえば、金のかからない新しい住民革新、地方革新というテーゼをお立てになったわけです。しかし、長洲さんは生き延びた例外知事なんです。
大都市地域の革新地方首長というのは、70年代の後半から80年代になると、ほとんど落城してしまった。その典型は横浜でした。飛鳥田さんを推していた政党は、みんなどうしたのか。革新地方自治を推進していた革新政党の顔というのは、ほとんど労働組合です。組合が自治官僚の新しい政権に、みんな支持者として入ってしまった。それは一体なぜか。労働組合が典型的に利益団体に変質したからだと思います。
70年代の後半、日本は経済大国になりました。こういう時代の変換の中で、生れた言葉は「生活保守」と呼ばれるものです。消費あるいはレジャーを楽しむなどで生活を豊かにする、自民党はそれをお手伝いあるいは達成しましたという格好になる。ですから70年代の後半以降、無党派層というのが第一党になったというけれど、その無党派層というのは田中角栄型の自民党には嫌気がさしているけれど、しかしダブル選挙などで投票になると、結局自民党に投票するわけです。つまり、生活保守、無党派保守の時代というのが、70年代後半から80年代までずっと続いたわけです。
80年代から日本における地方政治、無党派層、そして市民の問題の4番目の時期が始まったと思います。この時期に先鞭をつけたのは、生活クラブ生協だと思います。生活クラブ運動がつくり出した「生活者」という言葉は、単に生活の豊かさを求めるだけではなく、生活という視点で新しくものごとを見直す。生活者の生活実践とは、単に消費生活や余暇生活を意味するのではなく、生活している人の視点で、実は生産も国政もすべてのあり方を見直すということだと思います。
大衆市民の時代と私は呼んでいます。この大衆市民という主体の取り合いが、新しい保守と革新の分かれ目になる。保守の側は、いわゆるポピュリズムで、マスコミ対策です。これに対して、新しい革新というのは、生活という言葉の新しい定義から始めなきゃいけない。それにより、新しいポピュリズムに対応する大衆的な市民の、新しい位置をつくることができます。
それは第一に、地球環境問題から始まった。地球環境をこのままにしておいて生活の豊かさというのはあるかというわけです。第二に、消費社会の中で、生活の中心と考えていた家庭がそして地域社会が崩壊する。それを建設する、し直す。新しい家族、新しいホーム、新しいコミュニティをつくる。生活の出発点は、家族生活にあり、コミュニティ生活にあり、それを豊かにする手段として労働・生産というものがあったはずだという自覚です。そして、第三の要素で非常に重要なことは、ネイション=国民という問題だと思います。70から80年代にかけて、日本は豊かになると同時に猛烈に国際化したわけです。日本人の10人に1人は海外に出るという時代が始まりました。しかも、それは単に個人が観光旅行に行くだけではなく、コミュニティ同士が、都市同士が姉妹都市を結び、大学同士が姉妹校の協定を結び、高校までが姉妹校をつくって交流するようになった。人々が直接交流するという時代が生れてきたわけです。
市民社会の担い手としてNPOがよく挙げられます。NPOとは非利益団体(non-profit organization)、まさに資本主義的な企業というものを押さえ込むんです。NPOの連帯の上に市民社会はあるという主張が、しばしばなされるわけです。しかし、NPOの概念は日本の中で非常に新しい。ヨーロッパやアメリカのNPOの定義を見てみると、企業以外の団体は基本的にNPOですから、教会が入り、組合が入り、私立学校が入る。それが19・20世紀の資本主義や官僚支配を、本当にコントロールする力として働いてきただろうか。
大学がNPOとして持っている側面はあります。大学は運動体です。人々を理想に向けて教育する非利益団体であるわけです。しかし大学という事業体を、いかに経営し繁栄させ、その地位を確保するかで、みな戦々恐々とし、理念と関係なく偏差値序列というものが生れる。労働組合でも、そういうことがいえるでしょう。生活世界と資本主義世界はせめぎ合いであり、力関係からいえば圧倒的に資本主義世界の方が強い。
東京周辺の某市のある地域で、市民参加基本条例をつくるから知恵を貸してくれと、何回か講師に呼ばれて協議したことがあります。その市長さんが立候補するときに市民派を標榜し、市民参加基本条例をつくると宣言した。そこで、市民参加立案のための協議会ができた。生活クラブも一枚かんでいるし、地域の市民団体がみんなかんでいるわけです。事務局はがっちり市長、市役所が抑えて原案をつくる。そして、皆さん方のご意見を拝聴しながら、適当につまみぐいしてつくっていく。各地の市民参加基本条例を読みますと、市が主宰するさまざまな行事に、市民団体は参加する義務を負う。これが市民参加なんです。私は、そういう意味では非常に首をかしげるところがあります。
現在、この生活者ネットをはじめとして、各地域で市民団体が市民参加の声をあげている。基本的にこれは大変いいことだと思います。そのときに、対決や抵抗型の姿勢を捨てて参加型をとる、提案型をとる、みんなそう言っています。それとまさに対応するように、いわゆる改革派の首長たちが去年集まって出した本、われわれは既成政党に頼らない代わりにNPOに頼るとはっきり書いています。NPOたちが持ってくるいろいろな提案を参考にし、市役所や首長さんが中心になって新しい改革をやりたいと言っているわけです。
2000年の4月に「分権改革一括法」があり、国と地方が基本的に対等であると宣言され、住民生活における基本的な事項は地方公共団体に任せるという、新しい基本宣言がなされた。そういう意味で、これまでと比べて新しい時代に入ったことは確かですが、しかし、この分権改革が本当に新しい出発点になるのか、私は半分首をかしげているところがあります。
ヨーロッパでEUが出発したとき、EUは住民自治の基本法をつくりました。そこでは、住民自治というのは基本的人権のひとつ、基本権として書かれている。日本政府の分権は、地方自治権を基本的な人権として認めていません。環境問題、ごみ問題から始まり、介護問題などの財政問題について、国は責任を負えないから地方に負わせる。これが地方分権を国が推進した基本動機です。同時に、ふさわしい受け皿として強制的に自治体を再編する。この発想は、明治以来の行政の下請け機関としてしか地方を考えない、という延長上にあります。
地方自治体に基本的な自治権があり、国はその連合、あるいは連邦体としてあるという発想があるなら、ごみや何かは、市町村が連合して、組合をつくって運営するという形でほとんど賄えるわけです。私は現在の分権改革というのは本当に中途半端だったと思います。住民自治の問題、地方議会の問題。それから道州制から始まり、この市町村合併の問題もこの間の分権改革ではやらなかった。こう考えてみますと、私は現在の地方自治というのは、60年代よりも後退していると思います。市民参加基本条例をつくるのでも、原案は役所でつくるんです。
ローカルパーティというテーマをネットが打ち上げている。それは非常に重要だと思います。私は、ローカルパーティの意味は、NPOとは違うレベルの政治組織をつくることにあると理解しています。ローカルパーティというのは、一つだけの争点ではなく、そういうものを連ねる統一的な政策のシステムをつくる。
ローカルなパーティが各地域において、住民自治と政策テーマの解決を使命にしながら、新しい政党を立ち上げる。そのとき、先ほどから申し上げている生活者・市民の立場、新しい生活をつくり出す生活革新の立場、そういう視点に立って現在の地方自治体の政策を点検し、それに対して対案をつくっていくのが、私はローカルパーティの役割だと思います。新しい全体としてのシステムを持った政策の体系を対置するという政治力が必要になるわけです。
けさの毎日新聞の論説で、ヨーロッパの政党政治は80年代以降新しくなったとありました。イギリス国内においてブレア労働党が新しくなったといわれた理由は、自分がつくった政策の重要度の一覧表をつくり、この1年、それをどれだけ実現したかを自己採点し、市民の評価を問うたことにあります。小泉さんは、あんなに総花式に小泉改革をぶち上げて、一体何が中心なのか。やるやるやると言って、何をやらなければ小泉改革ではないのかがわからないわけです。しかしブレア氏はちゃんとやっている。それでヨーロッパでは、国政選挙において、投票率は常に70%以上です。政策の「成果を採点する」という意識が浸透している。
そういうテーマを、今の日本のナショナルパーティがやらないとしたら、ローカルなパーティがそれをやるべきだと私は思うわけです。ローカルなパーティが、生活者の立場からいま横浜において必要な基本政策は何か。その政策のシステムを提示し、その解決の必要性を住民に訴える。それをやるためには、第一にローカルなパーティは「政治哲学」を持たなければいけない。それを自覚しなければ、個別につまみ食いされて、みんな利益団体の中に繰り入れられていってしまうわけです。
生活クラブ運動、あるいはネットという組織主体が、一つの世界観を、哲学を、視点を、観点を意味するのだったら、運動は常時、生活クラブを超えて地域に広がらなければいけない。
これが私は、運動体が利益団体に変わるか変わらないか、まさに生活世界が植民地化されるかされないか、その境目の種類の困難な問題・課題なのではないだろうかと思います。(たかばたけみちとし)
(文責 編集部)