去年の秋に、私ども市民立法機構の研究会で、『市民セクター経済圏の形成』という本を出しました。市民セクター経済圏について、メンバーが一致した見解を持っているわけではなく、それぞれが違った円を描き、その最大限のところを市民セクター経済圏としてまとめました。学者ではなく、市民運動の側に立つ積極的な人たちが書いたものです。
「市民」といってイメージされるものは何か。まず、法治国家の市民社会で、法の下で平等な人間としての市民をとらえるのではないかと思います。支配体制側の政府や企業に対し、個別の市民は微力です。その中で市民運動をする人たち、意識的な研究組織をもつにいたる市民はごく一部でした。しかし今、自分たちが望む社会のイメージが明確であれば道筋をつくり、それに沿って協力も協同もできる。そういう力をもった市民が、法的に平等な市民に加えて、非常に強くなってきていると思います。
ところで、私が市民ポートフォリオという言葉で提示したい市民は、自発的な力をもっている市民ですが、もっと経済の面に近寄せてとらえてみたいというのが、本に書いたことの出発点になります。
2001年6月に行なわれた市民立法機構の総会で、世話人の須田春海さんが、「市民社会を強くする7つの方法」というタイトルを提案しました。その中で、私に「あなた任せの預金でよいのか」というタイトルが与えられたわけです。
日本の市民は、それなりに小さな資産を持っている時代です。そこで経済的な市民という発想でみてみます。
経済的な市民は多様ですし、不平等でもあります。日本の場合、高額所得者は累進所得税に相当な税金を掛けられて、一回国に入ったものが再配分されます。無所得者は、生活保護や障害年金を受けるというかたちで、やはり税金から手当てされる。このように程度ならすという活動は行われますが、やはり不平等であることは間違いない。それを、前提にしたうえでもなお、現実には市民セクター経済圏の実像には、なかなか焦点が合いにくいと思います。
日本銀行の資金循環勘定でみると、この数年間、日本の個人金融資産は約1400兆円を上下しています。実は、これが市民ポートフォリオの勧めの経済的な基本になります。
この金融資産の額が、日本の経済全体として気にされるようになったのは、1996年。時の橋本首相が立ち上げた「金融証券ビッグバン政策」の推進過程で、当時1200兆円の個人金融資産の存在が、非常に強く意識されました。もはや、日本の社会は、高度経済成長を不死鳥のように繰り返すことはない。しかも、少子高齢化社会で、働く生産年齢層の人口も減っていく。では、日本経済の活力の大元になる魅力的な財産は何か。資金を提供する個人金融資産を持つ個人層である。21世紀に日本経済が経済活力を取り戻すための最大のよりどころは、この1400兆円をいかにうまく活用するかにある。それが、このときのビッグバン政策の中核観念です。
この金額を日本の国民1億2700万人弱で割ってみると、バーチャルな金額ですが、約1100万円の金融資産を持っている計算になります。日本はすでに小資産市民が形成する社会であるといえます。
これを別の面から診ましょう。来年の4月以降完全なペイオフが見切り発車されることになっています。ペイオフは、預金保険法で定められ、ある金融機関が仮に破綻した場合、個人の預金者の口座一つにつき、最高1000万円までの元本は必ず保証するというものです。例えば預金を5000万円持っているなら、五つの金融機関に分散しておけば大丈夫という数字です。この1000万円という金額が、どういう意味をもつかというと、この5割から6割ぐらいが預金ですから、600万円が預金で持たれているというのが平均的な市民の金融資産の図柄です。
個人資産1400兆円といいましたが、実は金融機関が持っている金融資産は、3000兆円ぐらいあります。しかし、金融機関は、資産を持つと同時に、金融負債も非常にたくさん持っている。その金融負債の大半は、一般市民の預金であり、これを金融的な投資に充てている。最終的には個人が資金の出し手になります。そういう意味で、この1400兆円をいかにうまく活用するかが、日本経済の明日の姿に直結することは間違いありません。
私自身証券界に身を置いていることもあって、預金は持たない主義できました。ある程度たまったところで証券投資したところ、9.11のアメリカ航空機テロのあたりで、私の持っていた投資は、5割、場合によっては3割まで下がってしまいました。でも、私自身はお金を借りて投資しているわけではないから、損は関係ありません。自分が、「ああ、馬鹿だった」と思いつつ我慢して持ち続けているわけです。困ったのは留学している息子を助けてやらなければならない。そういう時、3割5割に減価している有価証券では助けられないのです。売ったら損失が実現してしまう。それで、やはり元本が保証されている預金を持っていないといけないことがわかり、2年ほど前から多少の流動性預金は持つようにしました。
歴史的に振り返ると、日本の庶民は昔からたくさんの金融資産を持っていたわけではありません。預金保険法ができた1971年、「預金保険法って、いったい何」というぐらいの認識でしたが、1996年に凍結される以前もペイオフはちゃんと存在していました。最初の預金保険法で定められたペイオフは100万円。当時の平均的な所帯の貯蓄が140万円ぐらいです。これは、預金以外の保険なども含めていますから、預金は100万円以下でしょう。その実態に合わせてペイオフの金額を定めています。
1970年当時の個人金融資産はたった60兆円。物価は、1970年から1989年のバブルの絶頂期までで3倍になり、個人金融資産の額はなんと15倍になっています。一言で言うなら、市民セクター経済圏の思想とは対極にある市場経済と、政府経済が支えてきた高度経済成長が、市民の懐をも豊かにしたということです。
1990年当時の個人金融資産は、経済は非常に悪くなっているにもかかわらずあがり続け1400兆円。さすがに、この数年は増えなくなりました。ひとつには、株価が下がり、有価証券の価値が減ったことが反映されています。もうひとつは、現金預金の引き出しです。不況に対応して現金預金が減り、株価が下落したという両方の側面で、現在金融資産は若干低下気味です。しかし、そのほかの経済指標に比べますと、はるかにこの1400兆円に固着しています。
日本の個人金融資産保有の図柄は、10のうち預金者として5、保険契約者として3、残り有価証券が1で、その他が1。これが平均的です。ですから、市場に対する資金の提供者、すなわち出資者あるいは投資者という側面は、非常に小さいということになります。
これをアメリカと比較して考えてみます。経済的にみると、アメリカは市場経済が非常に強く、政府は比較的公正、透明なルールを提供することで、市場が自由に発展することを可及的に推進させた国です。日本よりはるかに大規模という側面はありますが、やはり同じ小資産市民社会です。資産家の規模は、日本とは比較になりませんが、平均した場合は、個人が金融資産を相当程度持っている、高度経済成長を享受した結果、個人が資産を所有するようになった社会であると考えます。
日本人の大多数は住宅取得のために人生の相当部分を捧げてしまう面が強い。それに比べアメリカ人は、住宅取得で人生ががんじがらめにされる面は低いと思います。これは、日本でも何とかしたいものです。もう一つ、アメリカ人の場合、有価証券投資を組み入れた人生計画を、かなり若いときからもっています。この点は、経済的市民としては学んでよいと思います。
またイギリス人は、30年後の自分の生活イメージでどのような資産を持っているか、同級生に負けるような人生を描きたくないと考えるそうです。その結果、初月給をもらった時から、有価証券投資に回すことを考えるそうです。日本でも今後、公的年金が増えるわけはないとすれば、若い人たちは、自分で自分の資産形成を考えていかなければならない。その実例として、イギリスの実情に学ぶのもとよいと思います。
これまで5割とか6割の資産を預貯金に固定化してきた個人の習性を変えて、別の金融資産に回そうというのが、金融証券ビッグバン政策です。
株式市場も社債市場も投資信託も国債も、すべてが個人の金融資産をターゲットにして、できる限り個人資産を取り込もうとしています。
NPOの拡大、それから福祉・介護に関する協働組織が進んでいること、参加型システムといった新たな形態が合意されてきたことにより、市民立法機構でも憲法議論にも積極的にかかわろうという考え方も出てきています。市民が自らの経済力を自覚し、活用する必要があると思います。
個人資金の貯蓄は、これまでずっと政策的に誘導されてきました。例えば第二次大戦中には「欲しがりません勝つまでは」という標語がありました。戦時中の完璧な金融統制のもとの貯蓄、戦後の救国貯蓄、復興貯蓄がそれです。
政策以外に個人の側からみると、住宅貯蓄と教育貯蓄から出発し、老後貯蓄などを義務的に意識してきた。これら個人の貯蓄は、金融機関を経由して企業に貸付として回され、高度経済成長に対する資金提供になってきたわけです。日本が、強力な間接金融体制をつくり上げ、何十年と回転してきたことが、この貯蓄の別の側面になります。
しかし現在の日本は、行動経済成長から遠く、国内市場に有望な投資機会がない。そういう経済の状況のもとで、はじめて自主的、自発的に、貯蓄あるいは投資、出資を選択できる。選択しなければならないということにようやくなりました。その場合、市場経済の中の既存企業や新規企業の援助育成、あるいは市民セクター経済圏の組織を選択して援助するのも良いと思います。
投資・出資に基づいた意見参加、経営参加を捉えてみよう
かつて、一株株主運動がありました。企業に対して反対意見をもつ者が、株主総会で反対票を投じるために投資をするという考え方です。それとは違って、私が勧めたいのは、自らが出すことができる出資に基づいた意見参加と利益参加です。
ここでは、市民が自分の生き方を全部一度棚卸しして、捉えなおしてみた場合に、重要なこと、すなわち天引きされている税金の使い道を考えてみます。
一つには、直接議会に対して使い道を要求するという方法があります。もう一つは、自分でNPO団体や、ある企業に対して出資や投資、寄付、あるいは会費を出す方法です。自分の税金のせめて半分、私が選んで十分によいと判断したものに使う。できればその判断に何らかの客観的な基準、社会的な格付けをする機関があって、そこの承認があれば、自由に寄付や出資ができて税金から戻ってくる。そういうことがあるなら、市民ポートフォリオの形成に一番有効であると思います。それが、いわば市民ポートフォリオの、自発的に市民が自分のお金を運用する際の、直接的な運用の原資、いわば「財布」になるわけです。
すべての税金を政府の自由に任せず、市民自体の自由に自発的に考えられる方向に回して欲しいというのが、私の市民ポートフォリオ発想の最初の段階です。回された資金は、自分たちの考えで投資するも出資するもよし、あるいは会費に出すも寄付するもよい。それを選ぶ力はすでに今、日本の市民は持っているのではないでしょうか。こういうことが、この1400兆円の個人金融資産額から私が考えついたことです。
この税金をいかにしてこちらに引っ張ってくるかというのが、一番大きな問題です。これはやはり議員をちゃんと出すしかない。こういうことに賛成してくれるような議員を出すしかないと、そこに立ち戻ることにもなります。
神奈川全体をみると、経済力もあり、若い所帯から中堅の所帯を中心とした、非常に力のある市民がつくっている地域かなと思います。先駆的な市民セクター経済圏の実例を探すと、この地域に参加型システム研究所も含めて、非常に多い。こういうことはうらやむのではなく、自分でやらなければいけないとは分かっておりますが、私は、この地域を高く評価します。
自分が今すでにもっている金融資産を自発的なポートフォリオ形式に変えていくということと、税金を切り替えるという両方の側面で、私はこの市民ポートフォリオを皆さんにもお勧めしたいと考えます。 (拍手)
<文責編集部>
日本証券経済研究所理事・主任研究員
専門:日本証券史、金融史、証券市場論
著書: 「産業の昭和史(10)証券」
「昭和の証券アナリスト群像」
「株式会社の世紀-証券市場の120年」
編著:「繁栄と破綻-金融機関バブルのコスト」など多数