社会民主主義といいますと、どうしてもヨーロッパがモデルになります。図1をご覧ください。これは私が考えた図ですが、「社会的ガバナンスと市場経済」という図で、横軸には市場経済です。アメリカは完全に企業の自由に放任するという体制なのに対して、ヨーロッパの場合、政府がさまざまに介入する社会的もしくは規制的市場経済です。
ヨーロッパの場合、完全に競争に人々をさらしてしまわないということで、社会的な保護をしてきました。福祉国家もそのひとつですが、そういったものを彼らはソーシャル・ヨーロッパといっています。ソーシャルというのは、日本語のニュアンスからは「社会」と訳しても無意味で、私は最近、「公共」と訳しています。
一方で、グローバル経済ですから、先進国の経済競争に勝たなければならない。しかし他方で、もうひとつのソーシャル・ヨーロッパという旗を掲げ、この二つを理想に掲げて、ヨーロッパ社会を近代化していこうというのが、EUの方向です。
図を見ていただきますと、いままでのヨーロッパといいますのは、強い国民国家があって、そして社会的に規制してきた、ここにある斜めのドイツのようなかたちが、典型的なヨーロッパ体質で、比較的古い体制が残っているところです。
60年代、70年代の福祉国家全盛の時代に、国家というのは非常に大きくなっていった。当然、公務員も増えていき、コストも嵩んできて、あるところで限界を迎えました。その時代に、アメリカで反税闘争が起こってきて、イギリスでもサッチャーが登場してきて、いわゆる小さな政府が興ってきます。
その中で、「ガバメントからガバナンスへ」という方向が生まれます。小さな政府になってくると、政府がこれまでやってきた福祉供給とかサービスに、どんどん民間が入ってきて、担い手が変わり、そういうものを全部含めてひとつのシステムを考え、効率的な効果的な統治を行なう概念として、ガバナンス論が出てきます。
もうひとつは分権です。早いところでは70年代ぐらいから分権化というものが起こってきます。スウェーデンモデルは、県の行政単位で医療とか福祉を中心にやっています。スウェーデンがモデルになったのは、小回りがきいて、そのつど柔軟的にその地域の情報にこたえてやっていくことがうまかったからです。これは、分権的な福祉をやってきたからできたので、地域でいろいろな実験を行なっています。
スウェーデンのようなモデルをつくろうといっても、フランスとかドイツでは非常に難しいのですが、それに代わる選択肢はないので、図に戻りますと、ドイツのようなポジションでは、一方でアメリカ型を目指して、他方でスウェーデン型を目指してというかたちで、なんとか新しい時代を切り拓いていこうという話になっています。
日本は、アメリカモデルを志向していますが、どう頑張ったって、日本が横のものを縦にできるはずがないので、これも元々非常に無理があるのです。一方で、福祉を言う人はスウェーデンに憧れるのですが、スウェーデンモデルも日本の対極です。日本でリアリティをもっていえるのは、斜めになったドイツ、ヨーロッパタイプであり、市場主義かスウェーデンモデルかという日本の議論は、実際、リアリティをもっていない対立です。
これまで国家がやってきたことは、もはや国家は担いきれないという話になってきまして、どうしても参加とか市民社会の力とか分権の時代とか、複合的なものが入ってきて、そういうものを含めて、ソーシャル・ガバナンスといっています。
なぜ、ソーシャル・ガバナンスなのかというと、実はガバナンスにはいろいろなものがありまして、国家に代わるような新しい形態は皆ガバナンスと言えます。
たとえば、ローカル・ガバナンスでは、地域政党も、このローカル・ガバナンスを担うものとして考えられるはずです。従来の政党といいますと、政府があって議会制度があって、議会制度の枠の中での政党なのですが、地域政党というのは従来の政党の概念ではなく、半分社会運動や代理人運動を進めながら、自分たちは市民社会のメンバーなのだという話をしているのです。事実上政党概念自身が変わりつつあって、議会に出ていれば一応政党と言えますが、内容はどんどん変わっており、さまざまな地域政党があると思ってもらったらいいと思います。
もうひとつ、福祉国家からソーシャル・ガバナンスへというときの議論の最大の新しい展開といいますのは、そこに市民セクターという、第三者が入ってきて、三分法の世界になるということです。
ソーシャル・ガバナンスの理解の中には、福祉国家がやってきたことを、NPOも含めて、多元的な供給主体が担う、新しいシステムなのだと解釈する人もいます。一方、これまで政治や経済が決めてきた社会を、社会の側から決めていくというように、新しい制御システムのような社会をソーシャル・ガバナンスとするとする、神野直彦さんの議論があります。自分たちのことは自分たちで組織していくという、市民社会の自主モデルのようなもので、おそらくソーシャル・ガバナンスをもっとも大きく解釈したモデルだと思います。そのぐらいの幅をもって、ソーシャル・ガバナンスは議論されています。
ソーシャル・ガバナンス論は、突き詰めてしまえば、私の考える社会的民主主義にだいぶ内容が似てくるのです。つまり、社会ということを公共と考えれば、公共民主主義ですので、ソーシャル・ガバナンスとほぼ内容的に一致してくるような考えになってくるのではないだろうかと思っています。
図2「社会的包摂の多様なアプローチ」という図式が出ています。これは宮本太郎さんの報告から抜粋し、再構成したもので、新しい言葉がいろいろ出てきています。ひとつは、社会的包摂という、ソーシャル・インクルージョンです。反対は、ソーシャル・イクスクルージョンで、社会的排除といいます。
資本主義社会の市場経済のもとでは不公平があり、自ら平等な社会を実現する能力はないため、福祉国家では、累進課税や、さまざまな年金、生活保護などによって、所得の格差を是正していくことなど、再分配ということが大きなカギでした。
ところが、生活保護というのは、生活を保障しているかにみえて、実は彼らに仕事を与えないのですから、むしろ社会から排除しているのだという考え方が出てきて、大事なことは、社会的包摂なのだということで、「就業支援のための福祉」“workfare”が出てきました。所得再分配、生活保障なのか、それともソーシャル・インクルージョン、社会的包摂なのかという議論に変わってきています。
それだけでなく、この議論は、外国人の問題、マイノリティの問題、ジェンダー問題など、扱える領域が広いものとなってきています。
新しい労働力がリフレッシュして、新しい産業が生まれて、社会が変わっていけるのです。世界的には活性化政策、人々の能力をアクティブにしていくアクティベーション政策といって、人的資本開発モデル、その人のもっている能力を開発していくというモデルを考えました。
さらにもっとそれが進んだかたちで、左側に基礎所得(市民所得)というものがあります。市民であったら、何かのときには全部政府が保証しましょう。これは、一見、荒唐無稽に見えますが、現実に生活保護とか年金とか、住宅手当、児童手当を出しているので、それをトータルして国民の数で割ってみますと、けっこうな額になります。全部一律にしてしまえば、官僚組織はいらない。単純明快になり、人々は最低限の資金があるから、それを元に自分が生活をし、プラスアルファは自分たちでやればよろしいという話になってきます。
こういうかたちで、時計と反対回りになっていますが、新しい社会的包摂という視点で福祉を語ろうという話で、従来の再分配と違ってきています。
ソーシャル・ガバナンスといったときに、従来の行政とか政府でない、社会の力がどこまで活性化されるかということです。これは新しい挑戦ですが、イギリスにせよドイツ、日本にせよ、ポテンシャルは非常にあり、従来の福祉国家のモデルとはずいぶんと違ったモデルになってきています。
エコロジーの視点からは福祉国家批判として、所得保障、生活が豊かになるために、産業を拡大や工業化を推進し、ほとんど異議申し立てしなかったという点があり、もうひとつは、福祉国家というのは、実は男女差別を拡大、再生産してきたという批判です。ほとんどの福祉国家のモデルというのは、世帯単位所得保障を考える一人働き手のモデルでした。
また、企業システムの問題があります。コーポレート・ガバナンスといって、アメリカモデルの株主重視の企業組織に変えてきましたが、企業投資に関していえば、もうひとつ違うモデルがあります。日本やドイツ、ヨーロッパは、従業員や消費者とか関与するステイク・ホルダーを重視した経営があります。
一挙に、スウェーデンのようなモデルは無理ですし、ましてやアメリカは望ましくないのですが、少しずつソーシャル・ガバナンスの、さまざまな市民の新しい活用とか、あるいは企業福祉の新しいタイプとか、そういった複合的な組み合わせの新しいソーシャル・ガバナンスができれば、日本社会も現代のような、惨めな話ではなくて、もう少し本当の意味での豊かな社会にしていくために道が拓けるのではないかというのが、私のささやかな結論になります。
1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は哲学。
著書に「靖国問題」「教育と国家」「『心』と戦争」「とめよう!戦争への教育 教育基本法『改正』と教科書問題」(一部執筆)「戦争責任論」「反・哲学入門」他多数