小泉政権が発足して、今日で千百三十何日です。戦後27人の歴代首相の在日日数は、佐藤栄作の2,798日が最長で、もし小泉政権が今年の10月17日まで続けば、5番目の長期政権になります。
なぜ強いのか。なんといっても内閣支持率の高さです。4年前の4月の26日に政権が発足し、各新聞社の世論調査では内閣の平均支持率は85%前後です。この数字は、田中角栄や細川護熙をしのぎます。そして7月29日の選挙で自由民主党は65議席とり、1989年に土井たか子が「山が動いた」と言った選挙以来、はじめて過半数の支持を獲得したわけです。それからずっと小泉さんの内閣の支持率の高さは、ひとつの特徴です。
内閣発足当初の新鮮さは言うまでもありません。17人の閣僚中、女性が5人、非議員が3人。それから、自由民主党の総裁選における小泉さんの発言もまた、かなり刺激的でした。あらゆる人々の注目を集める要素があり、小泉さんは圧倒的に勝ったわけです。
小泉政治は、極めてアメリカに近いメディア戦略をとっています。広告代理店の電通が、発言から思想からネクタイからワイシャツまで、全部指示しています。歴代の総理大臣に比べて、小泉さんはインタビューに対しての答え方が大変うまい。朝夕2回の首相インタビューも、電通が予想する質問とその答えを15分ぐらい前に総理大臣に言っておくわけです。また発言に矛盾がない。もし矛盾すれば謝ってしまえというのが、広告代理店のやり方です。
彼はテレビが好きです。それに週刊誌からスポーツ紙から、そうしたものにどうやって自分を載せるか、アペアランスを明確にしていくことに全力を挙げています。そうなると、他の閣僚と決定的な差がついてくるわけです。
もちろん、メディア戦略だけではなく、自民党の中の派閥の力をそぐために、彼自身さまざまな工夫を凝らしていることを、みておかなければなりません。
自由民主党は、来年結党50周年を迎えますが、だいたい閣僚は1年経つと大臣を辞めてほかの人に代わるというのが、岸内閣からはじまった習慣です。過去ひとつの例を除けば、総理大臣が代わる中、同じポストに同じ閣僚が居座ったというケースは、52年の歴史の中にありません。
閣僚をどうやって選ぶかというと、各派閥の長が、3人から5人ぐらいのリストを総理大臣に出し、そのリストから総理大臣がピックアップするのが、かつての慣例でした。
派閥の機能として、お金と選挙応援と人事のポストへ就くことを、派閥にいる三つの機能といいます。お金については、15年ぐらい前に政治資金規正法の改正で崩れました。1989年7月、「山が動いた」と言われた選挙があった。宇野内閣から自由民主党は海部内閣に代わり、当時の幹事長は小沢一郎でした。竹下内閣のリクルート事件、宇野首相のスキャンダルと続き、自由民主党の人気が低迷。今度の選挙は、清潔な選挙でなければなりませんねという質問に対し、小沢さんは、「いや、こんなとき頼るのは金しかない」という名言を吐いたことは、今でも記憶にあります。
それまでは経団連に献金を依頼すると、団体の主要な企業が集まって、どういうかたちで分配するかを決めていました。これが自由民主党のいわゆる企業献金というものでした。
小沢さんはどうやったかというと、経団連を通さず、企業から直接お金を集めようとしたわけです。「それでは公職選挙法違反だ。そんなお金は出せない。」という企業に対し、小沢幹事長は、「私はお宅の会社だけでなく、お宅の企業グループにお願いしている。リストに基づけば、数百億円の金が出てくるはずだ。」と。それが1990年2月の、280億円を集め、激しくお金を使った選挙でした。
これは、自由民主党の中の力関係を、劇的に変えました。なぜかというと、自由民主党が、圧倒的にお金を出せてしまうために、派閥が力をなくしてしまったわけです。派閥のボスと議員の関係は、15年前に完全に崩れました。
もうひとつ選挙応援があります。かつて中選挙区制のもとでは、お互い保守同士が同じ選挙区の中で票を奪い合うわけですから、自分がより中央の大物に近いことで、かなりアピールできました。しかし、小選挙区制は、この機能がまったく低いものになりました。公認さえうければ、中央の応援をもらおうともらうまいと関係ないわけです。
派閥の三つの機能のうち、最後の閣僚の推薦権がなくなったことで、派閥の存在する意味がないわけです。三つの要素の最後の閣僚推薦権にメスを入れてつぶしてしまったことは、小泉さんの歴史的に果たした大きな役割だと思います。
7人の留任した閣僚たちと…森派の人たちは別ですが、派閥との関係は最悪です。閣僚が留任したために、派閥から送り込むことができないとなると、留任閣僚と、派閥との間に摩擦が生じます。閣僚は孤立無援の中で、政府の組織の中にどっぷり座っていなければなりません。頼るところは総理大臣だけです。
かつて閣僚は、自分を任命した総理大臣より、当然のことながら自分を推薦してくれた派閥のボスに一番の恩義があったはずです。なぜなら、推薦がなければ閣僚になれなかったわけですから。ところが一本釣りとなると、小泉さんこそが私を閣僚にしてくれた人になるわけです。
小泉さんが強いのは、いつ解散総選挙をやろうとも、全閣僚が解散に署名するだろうという確信のもとです。昔、閣僚はいくつかの閣僚ポストを重ねることによって力をつけ、実力者と呼ばれるようになりました。なぜかというと、その後ろに派閥の大勢の人たちが、その人を応援したからです。今は閣僚として活躍するほど、派閥との関係はうまくかない。
この小泉さんの閣僚運営のシステムは、見事というほかにありません。頑張れば頑張るほど自分に対抗できなくなっているという矛盾が、自由民主党の歴史からみると、減失といってもいいと思います。
かつて自由民主党は、総裁並びに党三役に一任という手続きをもって物事を決定してきました。自由民主党で、多数決で物事が決定するのは総裁選挙だけです。あらゆることに全会一致が、自由民主党の原則です。
ところが、この従来の原則を完全に崩してみせたのは小泉さんです。総裁ならびに党三役一任という決定方式がないとしたら、最後は誰が決するか。それは全国会議員と地方の代表で構成する、党大会で決まった総裁に一任されます。言い換えれば四大派閥のうちの残り三つの派閥は、総裁に対して拒否権が発動できる場面がなくなっている。そうなると、党運営のときの小泉さんが圧倒的な力をもつわけです。
私たちが考えておかなければならないのは、明治の伊藤博文候以来、小泉さんが一番強行な内閣総理大臣の権限を持っているということです。
六法全書に国家行政組織法というジャンルがあります。この部分が、1998年から99年にかけて、大改正されました。その結果を、2001年1月6日から始まった省庁の再編において、ずいぶんマスコミは報道してきました。しかし、基本的なところを見落としていたような気がしてなりません。なぜならば、省庁再編で閣僚の数が20名から十何名に減り、その結果、公務員の数が10万人を超える総務省という巨大な省が出現しました。内閣における総理大臣の地位が、この省庁再編、国家行政組織法の改正によって大きく変わりました。
憲法65条の中に「行政権は内閣に属する」という表現があり、66条に「内閣は総理大臣およびその他の国務大臣で組織する」とあります。はじめて重要案件だけですが、総理大臣が発議する権利が、法律の中に書き込まれたわけです。
私たちには、十年一日のごとくこの国の政治が変わらないように見える。しかし、この2001年の1月6日という日をして、行政システムはかなり変わりました。
初めにこの権限を手にしたのは森喜朗でした。しかし、KSDの問題、外務省汚職問題など、内閣支持率は15%を割り、彼は与えられたその権限を行使することなく、政権を追い出されました。
その権限を初めて使ったのは小泉さんです。小泉さんのリーダーシップが際立ち、それが彼のパフォーマンスと結びついて、すごい力となっているのが現在の姿なのかもしれません。
派閥政治は、過去のものです。政権にとって致命的なのは、内閣支持率でしょう。支持率が落ちて、20%、30%になれば、いくら強力な権限があっても持ちません。しかし、60%以上の支持率があれば、総理大臣であり、自由民主党の総裁に圧倒的な権限が集中する機構がつくりあげられます。
間もなく選挙を迎えます。自由民主党が56議席取れれば、単独で過半数です。それは、1989年の「山が動いた」の前に戻るということです。要は、その可能性があるかどうかということです。
3年前、自由民主党が小泉政権になって間もなくの7月29日に選挙があり、そこで64議席を取った。その直後に追加公認があって、65議席。これは極めて例外です。1989年の自民党の議席は32。6年前は44議席でワースト2。9年前は、46議席です。つまり65議席というのは、小泉人気にあやかった、とてつもない数字なのです。
6年前と9年前からみると、40議席ぐらいに留まるのではないかと思いますが、ここで決定的なのは、社民党と共産党の後退です。共産党は、東京、埼玉、大阪でしか候補を立てない。小選挙区のほとんどが、自民党と民主党の対決になります。東京で、果して民主党が議席を取れるか。取れるかもしれないが、2人区はほとんど自民党と民主党が分けてしまいます。ほとんどのところは70%を超えてきます。65%を危険ラインとすると、全国で6選挙区挙がっています。しかし、選挙制度が変わり、6年前から総議席数が10議席減ります。社民党と共産党の票の落ち込みにより、自由民主党が強い。民主党もやや人数を増やすのではないかと思います。かなり減るのは、共産党。公明党は、鉄の結束を誇る創価学会が支えている。
そこで鍵をにぎるのは、支持なし政党の人たちです。1960年代まで10%ぐらいでしたが、60年70年代は20%、80年代は30%、90年代には40%。いったんここが動けば、いくら自民党の政党支持率が高くても、大番狂わせがある。
5月末、小泉さんが北朝鮮を訪問した直後、自由民主党の支持率は30%後半に入っています。民主党は、相変わらず20%を割っている。支持政党なしは、40%前後。今度の投票率は、ひょっとしたら50%を切るのではないかと見ています。そうなると、支持政党なしのうちの4分の3は棄権に回る。あとの10%しか変動要因がないとしたら、今のところ自民党が勝つ体制に変わる要素が出ていない。
小泉さんが訪朝後の世論調査では、岡田克也さんには60%がまったく期待していないと答えていました。しかし、この間の党首討論で、岡田さんは極めて高い好感度をもたれ、小泉さんは、いい加減で不真面目だという票が出ていました。岡田克也さんの愚直ともいえる真面目な質問に対し、小泉さんがはぐらかしたことに反発が出ている。このあと、民主党が岡田克也という堅物を、どういうかたちで売るかによって、7月の選挙はかなり変わってくるでしょう。
とはいえ、大きな番狂わせは起きないというのが私の考えです。
1944年8月、長野県生まれ。早稲田大学卒業後、毎日新聞社に入社。大阪社会部、神戸支局を経て政治部記者へ。田中内閣から27年余り、日本政治をウォッチ。編集委員、論説委員、論説委員長などを経て、現在毎日新聞社常勤監査役。1993年から97年まで毎日新聞紙上で政治コラム「望雲観風」を執筆。現在「エコノミスト」で『中村啓三の政治観測』、「東洋経済」で『フォーカス政治』などのコラムを執筆中。