最近、韓国の歴史学でも、渤海という国をどう位置づけたらいいかが話題になっているそうですが、私も日本における位置を考える際、この国のことを考えると、面白いと思っています。
渤海というのは高句麗がなくなったあと、今日でいう北朝鮮から満州(歴史用語として使います)、シベリアにかけて、日本としげく交流がありました。多くの中国文化は、渤海の使節を通じて日本にやってきたという事実があります。渤海の使節が日本にくるときのルートは、朝鮮の北の端から朝鮮半島沿いに下り、38度線を越えて、慶州、釜山、対馬を通って来る。そして山陰の日本海側を上がり、能登半島、新潟、秋田を越えて、青森の土佐が終着であったと思います。
その渤海が、12世紀に滅んでいくわけです。いろいろありますが、一番の大きな理由は、白頭山大爆発の火山灰によって天候不順となり、寒冷化が著しく進んだこと。時を同じくして、日本でも奥州藤原氏が勢いを失いました。渤海が滅んで、一部のものは満州に逃げて満州族になり、女真になって後に清朝をつくり上げて支配者になれた。でも、韓半島に逃れてきた人たちは難民化し、漢民族によって差別され抑圧され、そして支配されていったと思います。日本の部落差別にあたるものとして、韓国では、白丁(ぱくちょん)という身分差別があります。日本の室町時代ぐらいに、難民という立場に重ね、元々騎馬民族で動物を扱い慣れている彼らに対し、動物を処理し革を扱う者への職業差別がはじまりました。韓国の歴史学は、まだそう考える段階に達していませんが、私は、なんらかの意味で韓国に逃れてきた女真族に対する差別も重なっているのではないかと思っています。
渤海が滅び、日本と大陸との文化の交流もずいぶん阻害されたわけです。しかし、渤海が滅んだとき、日本に逃げてきたのは誰か、これがちっともわからない。日本という地域は非常に不思議な地域で、外国から流れてきた人たちが、次々と溶けていってしまう。渤海も溶けていきます。 北朝鮮の軍隊を脱走してきた人の手記に、わずかですが、軍隊の中に女真族差別があるとの記述がありました。秀吉の朝鮮侵略で、加藤清正は、北朝鮮の東海岸寄りを攻め上がり、朝鮮李朝の王子二人を捕まえて大殊勲を上げた。なぜそれができたか。加藤清正は逃げてきて朝鮮族に差別されていた女真族に、「独立」を約束し、日本軍に協力させたそうです。秀吉が死に、日本は何の後始末もしないまま朝鮮半島から引き揚げ、あとに残った日本の侵略軍の手先になった女真族が、朝鮮族にどのように扱われたかは、明らかだと思います。
東アジアにおいては、問題はいろいろあるというのが一つですが、もう一つの別な問題は、12世紀の渤海使の来た道です。朝鮮半島を回り、日本海をぐるっと回って青森土佐港まで行く、日本海クルージングです。12世紀の渤海の人にそういうことができた。そのころ友好と交流と文化と協力の海が日本海であったはずです。では、21世紀われわれは何をやっているかというと、イージス艦と工作船をかわしているわけです。12世紀の渤海の人に恥じることはないか。12世紀にできたことが何でいま日本にできないのか。どうすれば、今日再び、あの遣渤海使、来渤海使のころのような、東アジアの友好の海にできるかということです。
東アジアにおける日本の地位を考える際、やはり基軸は日本と中国の関係ですが、最近われわれが忘れていることがあるのではないかなと思います。それは、1970年代に日中が国交を回復し、中国が4人組の支配を終えて近代化をしようと考えたとき、それに対応してさまざまな支援をしたのは日本だけということです。当時のアメリカや西ドイツは、中国というマーケットに対して、警戒的で二の足を踏んでいました。日本は、田中内閣のことや、戦争責任の問題もあった。また、日中の民間の交流や、横浜を舞台にしたピンポン外交もあった。つまり、中国から見ると、社会の近代化、あるいは経済の復興を考えた場合、日本のもっているものが中国にとっては、唯一無二大事なものでした。
それが今日、アメリカもEUも、中国という世界の人口の4分の1を抱えた巨大なマーケットに対する関心が非常に強くなり、いろいろな意味で、日本は、中国にとって一つの選択肢に格下げになっているということです。われわれが認識しなければいけないのは、中国にとっての日本を、70年代以来の友好ムードの中で考えてしまいがちではないか。中国は変わりつつあるのです。中国の主導層は、日本との関係を友好にしておいたほうが有利だと思っているとしても、地方あるいは若者の間では反日感情が極めて強く、中国政府にもコントロールできないという状況になっているのです。日中の関係を考える際には、中国にとっては政治的にも経済的にも、あるいは文化的にも、日本はワン・オブ・ゼンでしかないということを考えておいていただきたいと思っています。
1993年に、北朝鮮の核疑惑に対して、当時のアメリカの民主党政権が非常に強い立場をとることがありました。アメリカ政府は、北朝鮮に対して戦争をしてもよいと、ほぼ最後通牒に近いものを発したのです。アメリカ政府は、当時の細川内閣に、二つの要求をしました。一つは、北朝鮮攻撃で大量に発生する難民の受け入れです。もう一つ、厄介な問題は、細川内閣の官房長官で北朝鮮派の「武村を切れ」という非公式かつ強行な要求です。彼を切って、アメリカの戦争に協力できる内閣に変えろと。つまり、羽田内閣は、日本の戦時協力内閣としてつくられました。
ところが、金日成が劇的に新しい妥協案を出して、アメリカの外交政策は180度転換し、「KEDO」をつくって北朝鮮に対する支援するという方向に変わりました。日本はそれに対応できなかった。それが93年危機です。
東アジアの日朝関係というのは、実はアメリカの方針によってずいぶん大きく影響されるところがあるのです。アメリカ共和党筋のネオコンは、9.11を契機に石油を支配しようということで、北朝鮮よりイラク攻撃を選択した。したがって、北朝鮮に関しては、妨げにならない程度の話し合いで問題を処理していきたいというアメリカ政府の声があり、日本はそれに応じてその線にのっている。
一部で、小泉首相などがイラクでアメリカに恩を売っておかないと、アメリカが日本を助けてくれないといっていますが、そんな馬鹿な話はない。アメリカにとって世界で一番あてになる同盟国はどこかというと、まさしく日本だからです。
神奈川県民には由々しき問題ですが、今度、横須賀に新しいアメリカの空母がやってきます。アメリカ国外の最大の補給場は日本です。だからアメリカは、沖縄と神奈川、広島に集約した基地、およびそこに存在している技術力、支援力、補給力といったものを、そう簡単には手放せない。逆にいうと、そう簡単に首輪を外してくれないという意味です。
だから、北朝鮮との関係で、日本がアメリカのことに協力しないと、アメリカに見捨てられるというのは、大間違いだと思います。それなのに、日本政府は有事立法から国民保護法制にいたるまで、北朝鮮が日本を攻めてきたときにどう対応しようかという、とんでもない法律をつくっている。
北朝鮮の問題というのは、日米安保条約とか日米同盟がどうなるかということは、あまり気にしないで考えていいと私は考えます。韓国のことが、盧武鉉の不信任の問題から、一気に今度の選挙であの与党が多数になるといっていますが、仮にそういう政権ができて、南北が何とかでこぼこしながらも調整がとれていくといいし、日本もまたそれに、むしろ積極的にかかわるべきだと思っています。日本の場合、北朝鮮問題というと、国内問題が議論されているという部分がありますので、東アジアにおける日本の地位を考える際には、それを外して考えてみる必要があります。
有事立法以降出てきた、東アジアのイメージは、とんでもなく現実を外れていると思います。元々日本の戦後の防衛問題は全部そうです。かつてのソ連の脅威も非常に虚偽のものでありました。
政治家の仕事は、そういう戦争をするとか、軍事的に勝利するという価値だけを突っ張らせるのではなく、ほかの大事な価値とのバランスをとりながら全体を進めていくのが仕事だと思います。
国連ではジュネーブ条約に、歴史的に貴重な文化財は、そこを軍事的に使用しない。そして、そこを軍事的に攻撃しないという条約があります。こんど出来てきた日本の有事7法案の中にも、直接には文化的遺産の攻撃や軍事的利用を禁止する法律案ができていました。戦争は、別の手段による政治の継続ですから、戦争あるいは軍事力というものを、政治の中に位置づけて理解していくことが必要です。そうした場合、現在の有事立法のもっている東アジアのイメージは、現実からは全然ずれているというのが、私の考えであります。
かつて私は、神奈川ネットの人たちと、地域からの平和政策のイニシアティブを発揮しようという研究会をつくりました。国家として平和を考えるのもいいけれど、地域という単位でもっと考えていってもいいのではないかと思いました。なぜかというと、日本というのは基地集約県である沖縄と神奈川と広島に押し付けて、他県はのんびりしているという状況にある。だから、地域ごとに安全とか平和に関する立場が変わってきているのではないか。全国一律に国家レベルでものを考えると、地域の特性が無視されてしまうこともあるので、神奈川は神奈川でやればいいと思います。私たちは、神奈川という地域で平和を考えていくときには、神奈川のもっている人的、物的、文化的な資源を使って、東アジアでの友好と協力、そして平和をつくる関係に何らかの発言をしていくことが大事ではないかと思っていました。
私たちは当然のこと、自分たちの地域の安全を考える。それとともに、地域と地域で北朝鮮や中国とも仲良くしていこうということでいいのではないか。国防政策や外交政策というのは、国家主権の問題だと言われていますが、いっそのこと、主権など持たない地域とか民間団体のほうが、いろいろな意味で誤解をされることなく友好に尽くすことができるのではないか。「人間の安全保障」という観点からも、自治体やNGOのかかわりが重視されるようになってきた。つまり、国際環境としても、私たちが地域で努力していくことは、ごく当たり前なことになってきたと思います。そういう中で私たちは、北やあるいは中国との間で、友好と協力を切り開いていきたいと思います。
この東アジアの問題を、「日本海」と呼んでいる海を中心に考えてみたい。権力のないわれわれも、東アジアの平和と安全、安定のために何かしたい。平壌に向けてピースフライトをしようと話したことがあります。平壌宣言で言った日朝の友好と交流を、民間レベルで実現していく活動をやろうと。また、秋田に、県がお金を出して開発したポシェットという、シベリアの南端で北朝鮮との国境にくっついている小さな港があります。今は閑古鳥が鳴くこの港から、北朝鮮の沖合いを来渤海使が来たようにずっと流し、北朝鮮、元山、慶州、釜山、対馬にと寄って、秋田まで戻ってくる、環日本海クルージング構想もありました。日本と韓国と朝鮮と、あるいは在日の人たちでもいいですが、歴史と文化と言葉を共有する、若者クルージングをしようと。何かテーマをもって、日韓朝の人たちが一緒になって日本海をぐるっと一回りする、こういうクルージングをする。そうすれば、12世紀の、遣渤海使、来渤海使並みのことができる。彼らに対して恥ずかしくないのではないかと思います。
日本の自治体では唯一、鳥取の境港が、北朝鮮の元山との間に地方自治体の友好関係を結んでいます。北朝鮮と日本の間に年間500隻、貿易船が来ています。実はこの間ずっと民間で、NGOより企業が北朝鮮との交流をしっかりしていた。
われわれは国家レベルのアメリカの意向に左右されないところで、東アジアでの友好と協力の関係をつくることができるし、またつくっていかなければいけない。先に話した日本海クルージングを共にする日朝韓の若者たちには、厄介な海−日本でいう日本海を何と呼ぶか、共同提案をしてもらいたい。若者が額をよせて、平和の海とか緑の海とか、合同で考えた海の名前。各々の国の政府に向かって、責任を持って提案すると約束して、三者合同で決めたらいいのではないかと思います。
また、教科書の共通認識をつくる、歴史をきちんと描き出すような歴史の教科書をつくるクルージングがあってもいい。いろいろな試みがあったらいいと思っています。
私自身は、まずクルージングを出したい。それが無理なら日本と北朝鮮を直接、船で結びたい。そのときのスローガンは、「12世紀に渤海と日本の交流をしていた人に恥ずかしくないように、歴史に対して恥を知ろう」です。
最近、日本の野菜のDNAを分析することが進んでいます。日本野菜の原種は、だいたいは朝鮮半島の南から来ていますが、DNA分析をした結果、北から来ているものもある。これは脅威です。つまり、日本と大陸の交流というと、われわれは遣唐使、遣隋使以来、中国から来ていることを考えて、北朝鮮回りでアジア大陸と日本とが交流していたことを、あまり考えていない。韓国にしても慶州、釜山、昔の伽耶など、半島の南の先のことばかり考えているわけです。12世紀、いや種を持って往来している縄文式の時代にも、技術協力とか農業普及員があったわけです。この時代の人たちにも、われわれは負けている。
21世紀には、やはり半島の根元のほうと日本との交流ということをやりたい。いずれにせよ市民のレベルで行きたいと思います。 (要約責任:編集部)
1942年、東京生まれ。憲法、国際人権法専攻。民間の全国ネットワーク組織「平和フォーラム」代表。著書に「人権政策学のすすめ」「外国人労働者と人権」など。