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第23回 月例研究会

大学改革について

後藤 仁 神奈川大学教授

 今日は、大学の問題を中心にお話ししたいと思います。「大学改革」というタイトルになっていますが、事は大学改革だけではすみません。構造的に絡み合った問題群を、全体としてどう変えるか考えなければいけないわけです。

 私は法学部におりますが、この2〜3年、大変揺れました。ロースクールが、いよいよ来年の4月からできます。日本の大学制度にはなかった、新しいタイプの専門職の大学院です。今までの大学院は学者を養成するところでしたが、ロースクール(法科大学院)は、弁護士とか検事とか裁判官になる、司法試験を受ける人のための法律専門職大学院です。

 このきっかけは、司法改革でした。日本の裁判制度を、根本的に変えなければいけない。市民が身近に使える司法制度にしなければいけない。そうすると、司法を担当する専門職が必要なので、大学の法学教育を変えようという話につながってきた。

現在のあらゆる種類の改革がそうですが、相互に関連するほかの改革のことも考えないと、なかなか問題自体がつかめないということになります。

I.問題の背景

 大学の改革という問題の背景を少し考えてみます。今日特に申し上げておきたいことは、いわゆる高齢少子、長男長女、人口減少社会です。

 まず高齢社会。財政的にも大問題が出てくるのですが、それだけでなく高齢社会では、これまでの健康福祉関係のサービス提供システムが成り立たなくなってきて、年金改革とか福祉改革ということになる。典型的には、施設に入れるかどうか役所が決める、いわゆる措置システムという福祉のシステムが、法制度上は終わりになった。

 次に、少子問題。そこで浮上してきたのが、教育の問題です。神奈川県では私が県庁に入ったあたりから、当時の長洲知事が10年間で高校を100校つくった。それが、いま余っています。最初は、幼稚園、そのあと小中学校、高校と余ってきた。ここ数年、目が回っているのが大学で、受験生が激減しています。教育システム全体が大きな変革のときを迎えていています。

 そして実は、高齢少子社会は、長男長女社会なんです。長男長女社会になると、単に子どもが減るということではすみません。例えば、介護の問題です。夫も長男で、結婚相手も長女ということになると、日本型福祉なんていう、お嫁さんに介護を任せる仕組みは無理になります。

また、日本経済は、一種の土地本位制でやってきました。ところが今、土地は値段が下がり続けている。銀行は、値上がりを前提に、土地担保主義で金融をやってきたので、これは完全に破綻です。公的資金を入れて、銀行を救おうとしていますが、救ったって役に立たなければしょうがない。何か新しいタイプの仕事や金融のやり方を見つけないと銀行は生き残れません。

 それから、人口の減少。ただし、日本の人口推計を大きく変えるかもしれない要因があります。それは、外国人移民をどれぐらい受け入れるか。大幅に受け入れることになると、日本社会で生活する市民の数は、ある規模で安定することができます。

 現在、こと大学にとどまらず日本のいろいろな既存のシステムが転換せざるを得ない、改革を受け入れざるを得ないところにきています。どうせ受け入れるなら、受身でやるのではなくて、自己改革したほうがいい。全体的な構造改革を考えないと、うまくいかないということであります。

II.解決の方向

1.アメリカに学ぶロースクール

 そこで、どういうふうに考えたらいいか。無から考えるという手もありますが、私はわりとアメリカ派です。ブッシュだけを見ていると、アメリカを好きになることは難しいですが、いろいろ仄聞するところによると、アメリカから学ぶべきものは多い気がします。

ロースクールとは、まさにアメリカ型の大学院をつくろうという話です。まもなく国立大学法人法が成立しますが、これは会社のコーポレートガバナンスとも、共通するところが多い制度です。簡単にいうと、事前の細かい規制ではなくて、目標を確認しあうところから入り、その目標を達成するための計画を各大学がつくる。その計画について、成果が上がったかどうか外部評価を取り入れながら、改革を進めてもらいます。着実に改革を進めた大学は生き残るというわけです。  

3年前、神奈川大学の法学部の教員たちで合宿して、ロースクールをつくるかどうか議論しましたが、私は断固つくるべしという考えでした。

 これから必要なのは、専門的なコンピーテンス、業務能力のある人です。会社でも役所でも大学でも、専門についてなら、どこへ行っても仕事になる。そういうタイプの人じゃないとまずい。アメリカ社会は、この期間、そういう人を各分野で養成してきました。

プロフェッショナルというのは、実務と理論の間を行ったり来たりしないと能力をみがけません。たとえば、社会人の夫婦が子育てしながら大学院で専門的な知識を身につける、というように。実務をやってきた経験を整理して、理論化していく。あるいは、理論を吸収して、また実務へ帰っていくための準備をする。

アメリカ社会では、それぞれの分野の専門職を養成する大学院レベルの学習サービスを提供する大学が生き延びています。その特徴は、現に専門職で働いている人たちを、社会からどんどん迎え入れていること。生徒としても教師としても迎える。教員も、大学の中で育ってきただけでは、専門職教育はできません。日本のロースクールも、一定割合以上は大学外で育った人を入れないといけないのです。とにかく法について、地域の色々な問題を、ある程度たしなみのある市民が専門職を使いこなし、解決できるようにしなければ。そういうローカルに根ざした法律専門職支援の社会的な仕組みがいるんだよと。専門職の勉強をする人を厳しく鍛えて、その代わり環境も用意する。ロースクールをつくるのを機会に、完璧に変えたほうがよろしいというのが、私の提言でした。

2.ユニバーサル社会〜一人十色の実現〜

 大学はユニバーシティですが、ユニバーサルデザインというのをご存知ですか。誰でもが使いやすい街、つまりバリアフリーを延長した概念です。主にソーシャルサービスの分野や選挙権などなど、こうしてみたらどうかというユニバーサル社会の予想図を描いてみましょう。

 高齢社会の暗いイメージのもとである、65歳で切るのはやめて、15歳と70歳で切れ目を入れて三分し、それぞれに比率を計算してみると全然違ってきます。性による社会的差別も認めないのと同じように、年齢による社会的な差別を一切認めず、男女共同参画社会と同様、老若共同参画社会をつくればいいんです。

この社会で強調しておきたいのは、性・年齢・障害の程度・国籍とかエスニシティによる、差異はあるけれど差別は一切ないと考えること。すると、当然年齢による定年制もなくなります。人生にも春、夏、秋と冬もあるわけです。皆さんのような夏の方が頑張るもよし、私がいまや足を踏み入れている冬の季節も、四季折々に美しくなければいけない。一人ひとりが自分の特色を活かして十人十色。できれば一人が十色。それを実現できる社会にするにはどうするか。

 いま、年金改革といってますが、どうなるのか不安です。持続可能といっても、ただ持続していたってしょうがない。

たとえば、引退の権利。多くの人が、65になったらその権利を行使する。激務に就いていた人は60で。権利を行使せず、給料が安くなっても働き続けたいならそうすればいい。場合によっては、受給権はあるけれど、年金の蓄積が足りない場合もある。それらに耐えられる年金というのを考えて、年金制度を設計していくわけです。高齢者に対するセイフティネットも用意しておく必要があります。引退ではなくて、就労の世界から外れた場合に、ちゃんと市民としてのミニマムな生活ができる福祉制度です。

 では、その就労は、どう考えればいいか。これからの社会は、転職と転礼が、気軽にできる社会にしなければいけない。転職や転社は、組織フリーですから、ある専門職の能力を磨きながら、いろいろなところを移っていくわけです。ときに組織に属さない時期というのがあってもいい。長期間ひとつの組織に勤める場合には、それに見合う長期休暇制度を取れるようにする。私が前からぜひ必要だと思っているのは、公務就任休暇というものです。会社で働いているサラリーマンやOLが、市会議員に出る。でも、会社を辞めなくていい。その間、公務就任休暇を取れる制度です。それから、ボランティア休暇、社会貢献休暇、育児とか介護の休暇、海外留学を含めた学習休暇。そういうさまざまな長期休暇制度を充実させる。

 生活のリズムとしては、原則として日本社会のすべての組織体は完全週休二日。

 それから、15歳までは一種の扶養制度を残したほうがいいだろう。これには高齢者の福祉制度と同じように、何らかの形で税金の使用をする。

 社会保険料は個人単位としたい。この社会は、全部個人主義社会です。家族単位、世帯単位というものは一切ありません。全部が個人です。社会保険料を払う代わりに、健康保険とか介護保険とか、障害者福祉の受益権は当然発生します。今の介護保険は、年齢とセットになっていますが、若くても介護を必要とする人はいるんです。そういう人は、保険の性質からみて、当然、介護保険は受けられないとおかしいわけです。すっきりと、保険料も払うけれど保険も受益できるようにしたらどうでしょう。

 税金については18歳を機会に全員に払ってもらう。その代わり、当然いろいろな権利が認められなければならない。成人式は18歳。選挙権も18歳。これは、先進国はほとんど今そうなっています。国籍を選ぶ権利も含めて、18になると市民に保証されている権利は全部持てる。その代わり税金も払う。基礎自治体の参政権は15歳。政党は、青年同盟というようなのに入るのは15歳からいいよと。町村合併については、住民投票で中学生や高校生に投票させる自治体が出てきています。これは非常に面白いと思います。神奈川でもあるといいですね。ネットの皆さんが推進してくださって、中、高校生に、わが町どうするか投票させる!

 高校生は完全に基礎自治体の参政権を持ってもいい。被選挙権を含めて、高校生議員なんていいですね。それから中学生は、コミュニティレベルのいろいろな運営組織に参画し、発言権をもつ。子どもの権利にも関係しますが、そうしたらどうでしょう。

3.学校再編の考え方

 さて、周りが変わっていく中で、教育とか学校、大学はどうすべきか。私の考えでは、義務教育の9年はそのまま。それを前期初等(6〜9歳)、後期初等(10〜14歳)に分けます。前期は、社会に出て本当に必要な基本的なものは何かを精査した上で、徹底的にそれをやる。後期は、非常に難しい年齢です。ある程度、徹底的に好きな勉強だけをやらせる時期でいい。カリキュラムより、クラブとかクラスとか、そういうことで学校を考える。

 この初等9年間は、親が子どもを教育する義務を負う、義務教育期間です。親によって学習権を保障される時期です。この9年間は、一貫でやっても途中に切れ目を入れても、学校によっていろいろなタイプがあっていい。どういう学校にするかは、親と子どもが選べばいいんです。私だったら分離型、受験勉強を考えると一貫かもしれませんが、子どもというのは自分で必ずしもコミュニティを選べませんから、学校を変えることで途中でコミュニティを広げる機会があったほうがいいと思います。選ぶのは、そういうことまで含めて選ぶべきです。ただ受験の効率だけで選んではいけない。

 さて、義務教育のあとは高等学習に移ります。高等学習は、前・中・後期の3種類。前期は、今の高校にあたるもので3年間が原則ですが、途中で辞めたい人は自由に辞めていい。戻ってきたければそれもよし。高校から社会人化を始めてしまう。

 大学は、原則3年。そして、大学院は1・2・3・4年制のどれか、年数は専門職業に応じて決めればいい。途中退学、復帰も自由。学期制を工夫して夏休みだけ来て、9年かけて卒業することがあってもいい。出入り自由というのは、試験は大学によってしてもいいわけですが、年齢制限を設けない。

 バウチャー制度を採用してもいいかと思います。教育切符を買うわけです。自分の行きたいところに切符を持っていく。だから、いっぱい来てくれる学校もあれば、誰も来なくてつぶれる学校もあり得るわけです。

夢のような話をして、そんなことができるかなと思うでしょうが、やる気になればできないことはない。いずれにしても、今のものは駄目。代わりのものをつくる以外ないわけです。つくるなら、ちまちま変えるより、思い切って変える。

 

 どうでしょう。NPO大学で、何年後かに実現させたいと思う社会の姿を、みんなの共同研究で描いてくださいませんか。教育のニーズだ、福祉のニーズだとバラバラ事件にしないで、トータルで新しい社会を考えるとしたらどなるのか。それがないと元気が出ないです。そろそろ、根拠地というのはできていると思うから、もうひと骨折って、研究したらいいと思います。

 人口、税金、防衛、教育、この四つは相互に関連があります。この四つを押さえながら、日本の社会のトータルな完成予想図と、問題点の解決の方法をまとめてみる。それを下敷きに、個別の政策のようなものも各地域でつくっていく。

運動というのは、我慢しがちになりますが、ときど気宇広大なことを考えないともたない。私の考えは、気宇広大というより、とんちんかんなだけかもしれませんが・・・。皆さんが考えるきっかけということで、大学改革から外れる部分もありましたが、とりあえず今日はこれまでにしたいと思います。

(ごとうじん)


 <文責編集部>