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第21回 月例研究会
コミュニティ論から見た市民社会

伊藤喜栄  前神奈川大学教授

 

私の専門は、ジオグラフィ(地理学)ですが、地理学を通じて国際的に社会的貢献をしている領域を勉強してきた結果を踏まえ、コミュニティに関わる問題、市民社会の中での現実にありうるコミュニティといったテーマを、お話しをしていきたいと思います。

1.様々なコミュニティ

(1)原始社会

 コミュニティを考える最初のヒントは、ニューギニア高地人の社会です。本多勝一著『ニューギニア高地人』講談社文庫を参考にしました。ほとんど狩猟と採集経済で、部分的に焼畑農業をやっている、いわば最もプリミティブな社会におけるコミュニティです。これを見ると、コミュニティの構成員は村人ですが、村人は決して仲良し集団ではありません。まず地縁血縁双方を含めて、仲が良かろうが悪かろうが、この集団に所属していないと生きて行けないわけです。これが人間の側面から見たコミュニティの、そもそもの出発点ということです。

 人間のコミュニティは地域によって、風土の特性に応じてさまざまに姿・形が違いますが、カナダのイヌイットであれアフリカの狩猟民であれ、いずれも生き続けるための社会的な装置としては、共通性をもっています。それは、まず村人が力を合わせて、強いもの弱いもの、老人、子ども、ともかく肩を寄せ合って住んでいる。そして彼らは生活の拠点としての家を持っています。コミュニティに家屋(シェルター)を与えると、集落という概念、"settlement"になります。

 彼ら彼女らは、この集落を根拠地として、周囲の自然に出かけていって、生活資料を入手してくるのです。この生活資料入手のための自然が、現実に日々意味を持っている自然環境なのです。だから、コミュニティの生活そのもの、生命維持そのものが、周りの自然環境に大きく依存しているといえます。このコミュニティ=セツルメントを扶養している自然環境の範囲が、最も基礎的な地域といえます。そして真ん中のコミュニティは、プリミティブな社会ではそんなに大きくなく、せいぜい人口200人ぐらい。小さいものですと30人から50人ぐらいです。

(2)農耕社会

 狩猟・採集ベースの原始社会は、農業革命によって農耕社会に発展します。歴史的には紀元前3000年から5000年といわれています。その結果、土地生産性が飛躍的に高まりました。だから、伝統社会は可能な限り農耕社会になっていくというのは、土地生産性を高めることによって、コミュニティの生命維持の安定性と効率性を図ってきたからです。農耕に適さないところは、狩猟・採集から遊牧に進化し、羊の群れとの共生を基礎にして、コミュニティを編成しているということです。伝統社会では自然の衣といいますか、外套を身に付けたコミュニティが一般的で、自然の衣を脱ぎ捨ててしまいますと、伝統社会では生命の危機に瀕するわけです。

 日本の場合でも、第二次世界大戦前、あるいは終戦直後は、農地改良が十分進まない段階では、三大都市圏は別として、田舎はそういうスタイルを残していた。近代化の過程でそれが壊れていったことを、もう一方で頭に入れておいていただきたい。ヨーロッパの三圃式農業のコミュニティ、日本の標準的な稲作のむら、そして稲作と焼畑で装備された山村のコミュニティの場合です。

(3)都市コミュニティー「みやこ」と「まち」

 最初に自然の外套を脱ぎ捨てて成り立つコミュニティは、どのように人類史の中に登場したのでしょうか。その出発点は、国家の成立と首都です。政治的な支配力で、周りの自然の外套を着たコミュニティからTAXを取るという仕組みが成り立ってきますと、自分で労働しなくても、生活ができるようになる。都の大きさはTAXを取る量と範囲の問題になってくる。自然と向き合わない、人間の集まりだけで成り立つコミュニティ、これが都(首都)という表現で表される都市コミュニティです。しかしこの「みやこ」型コミュニティは原則として、政治領域(国家)にひとつという存在になります。

 自然の外套を脱ぎ捨てたコミュニティの第2のタイプは、次のような「商人のまち」です。八日市とか六日町とか、定期市というのは、まだ365日商店を維持するだけのトレードの量がありませんから、伝統的なコミュニティの中の交通の便がいいとか、条件が整ったところが選ばれて、そこで市(いち)が立つわけです。市が立つときだけ、そのコミュニティは町みたいな賑わいを示す。

 これが、商売だけでコミュニティの維持ができるようになるのは、日本ですと日本全国であるとか、あるいはヨーロッパですとアジアとの貿易であるとか、もっとスケールの大きなトレードが成立してからです。この広域・遠隔地交易の結果、コミュニティをつくることができるようになります。これが「まち」型都市コミュニティです。「まち」型都市コミュニティは、ヨーロッパではいわゆる中世・近世以降、日本では近世とりわけ江戸時代の後半以降急増し、現在の地方都市の基盤をつくります。(4)近代資本主義社会の都市-人間のコミュニティから

工場・事業所のコミュニティへ

 産業革命の故郷はイングランドのクロムフォードです。ここはまた"factory community"と呼ばれています。水力紡績機を発明したアークライトの、いわば「企業城下町」です。彼は水車で紡績機械を動かす発明をしました。水流が安定して得られないと水車が動かない。そこで、山中のクロムフォード村に工場をつくったのです。ところが、山中ですから、輸送問題・労働力問題、みな困るわけです。そこで、アークライトはあちこちから資金を調達して、集中的に投資を行います。

 1771年に工場をつくって、次に労働者住宅、それから製粉所、ホテル、倉庫と運河に投資しました。人が集められてコミュニティができるわけです。要するに日本の企業城下町のできかたとほどんど同じです。

 次に、マンチェスターですが、要するに蒸気機関がビジネスコミュニティ形成の鍵をにぎっています。これはワットが、ニューコメンが発明した蒸気機関の上下式運動ポンプを回転のエネルギーに変える仕組みに改良して、汎用エンジンにした功績が大きいのです。アークライトは山中で物を運ぶのに不便しましたから、19世紀には運河と石炭とが結びついている、マンチェスター工場を建設しました。以降、蒸気機関を利用した紡績工場がこのマンチェスターに増えて行きます。

 綿は収穫時期が決まっていますから、大量に綿を保管できる倉庫業が発達する。運送業が発達する。紡績機械の修理とか製造のための機械工業、木工業が発達する。労働者住宅も必要になってきます。このマンチェスターが1800年ごろに人口が10万だったものが、1850年ぐらいに60万人ぐらいになりました。これが今日われわれが工業都市と呼ぶ、名古屋とか浜松とかの原型なんです。これがドイツに波及し、フランスに波及し、アメリカに波及し、日本に波及しというかたちで、今日の先進工業国とその国での工業地帯ができていくわけです。

2.市民社会のコミュニティ

 東京大都市圏は、3000万の人口が直径100キロの中に住んでいます。ここに集まっている事業所にとっては、これはコミュニティとしての意味を持っているわけです。しかし人間にとっては、疎外現象が起こるわけで、本来人間が持っていた共同性は失われてしまいます。市場原理に任せた地域編成の仕組みという点では、"business community"の合理性は市場メカニズムで、たぶん自律的に実現して行くことでしょう。しかし、人間のコミュニティは、そのメカニズムの対象外なのです。

 大都市問題というのは、より機能が中心部・都心に集まることによって、ビジネスの効率が上がると同時に、その反作用としてそれを支える勤労者、労働者が外に押し出されて通勤するというメカニズムによって発生します。それを可能とするものが都市交通体系です。都心に一極集中する大都市の諸機能を麻痺させないために、政府は必死になって交通体系を整備するわけです。

 このような都心と郊外の形成の過程で表面化するのが、インナーシティの問題です。ここは民間資本の再開発になじまない、土地利用の純化が進んでいない不良市街地の問題です。ここをインナーシティといいます。

 このような現代の巨大ビジネスコミュニティとしての大都市圏。そしてその中に放置される都市住民・市民。このような都市住民・市民の地域共同性は市場メカニズムにまかせておいたのでは、決して形成されることがありません。市場メカニズムを利用し、あるいはこれに抵抗して、都市住民・市民が協力してつくり上げて行くものなのです。

 イギリスでもアメリカのケースでも、近隣住区(ネイバーフット)は、一応直接民主主義が機能する空間です。ネイバーフットの一つの良い例として、私の住んでいる厚木の東急コミュニティをあげます。ここは比較的緑が多い団地で、中に車の乗り入れが禁止になっている。だから、住み替えして残っていた人たちは、年金生活の高齢者か、子どもを外で遊ばせても危なくないからうんと若い所帯か、この両極分化で真ん中がいないんです。もう一つは、大きな運動会などの行事の他に、隔月に一回ぐらい集まって草取りをしています。これが仲好く皆が挨拶するきっかけになりまして、日本の自治会としてはうまくいっている方じゃないかと思います。

 現在の問題は、このコミュニティの入り口付近に、生活必需品店がありますが、それがだんだんつぶれていくわけです。けれども、高齢者が多くなったから生活の最低必要のものは、すぐ間に合うような仕組みは残しかないと具合が悪いと思います。

 イギリス・シェフィールドの、中所得層の人たちが住んでいる住宅地にも、昔の商店街があります。郊外にスーパーができたり、中心商店街がより大きくなったりして、さびれていくわけです。だけど、店が閉まっている様子がない。調べてみたら、中所得層の住民の奥さんたちがボランティアで維持しているわけです。「セーブ・ザ・チルドレン」とか「OXFAM」という運動をご存知でしょう。こういう店が、商店街の中のさびれそうな店を買収したり借りたりして維持している。だから、通り全体がシャッター通り化しているというイメージはない。いま地方都市の商店街がつぶれているというのが多いんですが、何か打つ手があるのではないかと思います。

 そこで、労働をどのように位置づけるかということと、コミュニティの問題とがかみ合ってくるわけです。われわれは、労働については有償の、労働時間に見合った賃金をという考え方からなかなか抜け出せない。ところが、社会をメンテナンスしたり、機能をより豊かなものにしていくのは、有償ではない労働部分がカバーしています。その部分が実は相当大きいんだと、改めて思うわけです。ドネイション(寄付)も大事です。アメリカでは政府が寄付について課税しないとか、非常に弾力的に寄付行為を処遇している。イギリスでもドイツでも、そういった点は日本よりはるかにうまくいっている。

 ドイツではコミュニティの空間について、地理学者のクリスタラーが、中心地理論を開発し、それが応用されて政策が進められています。それは社会の空間には階層性があるというものです。例えば神奈川県だと、一番上に横浜、川崎の空間があり、その下に、藤沢、平塚、小田原、厚木の空間があり、この下にもう少し小さな町の空間がある。そこで公共投資の配分を、空間の階層性に従って行うと、行政投資の無駄が省ける。このような階層的な社会空間の最も下位に近隣・住区が置かれるのです。ではこの近隣・住区を具体的には何を手がかりとして運動・政策の拠点ないしは基礎単位とするか。町内会を自治組織に再編成するとか、もう少し大きく学区を単に通学範囲とするのではなく、近隣・住区の視点から見直し、整備するとか。なるべく直接民主主義が作用するようなコミュニティの空間を探しながら、住民のボランティアと自治体の政策によっ整備する。こうしてよりベターな市民社会のコミュニティを現実のものとする。

 先進国の近代市民社会で、一人ひとりの住民が自分で考えて、自分で判断して、権力に流されないで、自分の意見を持って自分でコミュニティ形成にむけて行動すかと、私はかねがね思っています。大変雑駁な話で恐縮でございましたが、以上で終わらせていただきます。                

(いとうよしえい)

<補論-会場の質問に答えて>

 Community論は、理念、規範のみでは運動や政策の指針にはなりにくいと思います。より現実的な接近を各方面から追求すべきと思っております。

(1) 例えば東京は、東京大都市圏を一つのまとまった巨大な、世界最大級のマンモスbusiness communityであることを認める、ないしは前提とする。

(2) (1)を前提としてのbusiness communityの内部の各機能の立地・配置のあり方を調査・研究する。その場合、土地利用の70〜80%を占める住居機能のあり方が人間のcommunityの再生の問題と密接に関係する。

(3) 近年流行の市場メカニズム(小泉・竹中流の)万能主義は、businessの効率化を保障する空間は自動的に編成されても、住居部分の土地利用は無政府状態におかれ、人間のcommunityが良い状態で形成される保障はないのです。公的セクターの規制と誘導がどうしても必要となるのです。

(4) では、この住居部分、生活領域部分を好ましい状態で供給する主体は何か、民間セクター:良心的で優秀でヒューマニズムをもったスタッフの揃っている住宅産業部門。公的セクター・第3セクター:同様の優秀なスタッフが能力を発揮できるような公営の住宅団地。Coop・NPO:近隣住民がCoopとして共同出資して住宅地を設計・開発する。(例がないわけではない)

(5) この(4)の段階で、人間のcommunityのあり方が常に主題となるのでなければ、business communityの内部の空間構造の合理化(人間の生活としての、或いは使用価値としての)は実現しないのです。

(6) 最後に住宅供給部門を例に近隣communityのよりよい状態を念頭において都市の居住部分を提供しても入居者、居住者がその意味なり、意義なり、について無関心、無理解では近隣型のcommunityはうまく機能しません。communityメンバーの学習が問われることになります。このミスマッチが欧米の近隣型communityの荒廃を招いている場合は少なくないのです。このことはまた近年日本でも例外ではなくなりつつあります。

(7) 田園都市線沿線は、民間セクターの住宅団地供給としては比較的良心的に取り組まれた例と思います。東急は五島慶太が渋沢栄一や阪急の小林一三とともに公的セクター(当時内務省)より早く、レッチワークの田園都市構想に共鳴し、民間ベースで中産階級の近隣型community形成に力を尽くした先駆者です。田園都市はその遺産です。

 この渋沢の考え方は、第2次戦後の田園都市線の施設と沿線開発にも活かされている等ですが、何分面積が大きく、民間セクターの事業(収益を選考させざるを得ない)であること。入居者、居住者が変化し、学習効果が不充分等でうまく行っていない部分が多いということでしょうか。


 <文責編集部>