社会のあり方は、4つのセクターから説明できます。まず私的セクターですが、これは民間企業と市場経済の領域です。公的セクターは公共経済の領域で、政府、地方公共団体、行政、官僚制がここに入ります。日本の場合は、この2つのセクターが、政官財の癒着構造というかたちで、切り離して考えられない領域です。
この2つのセクターの間にあるのが共的セクターで、これは非常に重要になってきていますが、まだ弱いものです。この共的セクターはこれまで中間集団と言われてきたもので、個人の自由を規制するギルドや家や村落共同体などがありますが、ここでは自立した個人のボランタリーな関係として考えます。NPO、NGO、ボランティア団体、さまざまな社会運動がここに入りますが、それぞれアソシエーションという概念で特徴づけます。この共的セクターは、私的セクターと公的セクターに対する批判的、対抗的な関係と同時に、コラボレーション(共同作業)、パートナーシップという関係をどう組んでいくかが非常に重要になってきます。
最後が社会を考える一番のベースとしての、コミュニティセクターで、地域における個人、家族の生活です。家族の中には個人それぞれの生活世界があり、共通の基盤としてコミュニティがある。風俗や習慣、言葉など、共通のものがコミュニティにある。人間はひとりでは生きられないので必ず他者との関係を考えなければならない。共的セクターにしても私的セクターや公的セクターにしても、このコミュニティセクターを基盤にして立ち上っているはずです。
コミュニティセクターと共的セクターは、自立した個人を前提にします。市民社会を考える場合には、実在するかどうかという問題がありますが、自立した個人を基本ベースにします。われわれは人間の自立や自由や人権というのは市民革命によって顕在化されて、憲法で保障されたという流れの中で共的セクターとコミュニティセクターを考えていきたい。近代市民社会においては、コミュニティの基本的な単位は自立した個人です。日本の場合には、コミュニティというよりも身分的な拘束が強い共同体的な社会が今なお存在している。それとは概念的に区別しながら自立した個人から出発し、アソシエーションをつくり、コモンズをつくって、生協の全体をつくりあげていこうというのが生活クラブの方向です。
もう一つ重要なことは、<社会>という概念は歴史的にみても横のつながり、アソシエーショナルな関係、連帯をいうのであって、決して支配服従関係ではないということです。
社会を、社会理論の立場では、経済、政治、社会、文化に大きく分けて考えます。
社会の基本的なメディアは言葉です。言葉を媒介にして、相互に理解し、協力し合う人間関係のネットワークが社会です。そこでは協力関係や相互理解ができるコミュニケーションが非常に重要になりますが、現在ではそういうコミュニケーションが不可能になってきている。私はこれを「人間関係問題症候群」と呼んでいますが、コミュニティの解体をはじめ、コミュニケーション障害、引きこもり、ドメスティック・バイオレンス、自殺者の増大など、いろいろな問題が起こっています。
重要なのは、そういう背景にある問題は人と人との関係性が極めて希薄化してきたことです。それは教育の問題と密接に結びついています。社会と教育は切っても切れない。教育はシンボルの習得をめざす。自分の内面的で主観的意図を外に表現するメディアとして言葉とか絵、音楽、彫刻などを用いて他者に伝えていく。教育は文化の習得をめざします。
ところが社会と文化の問題にお金や権力の問題が入ってきているところに、今日の大きな問題があります。子どもたちのいじめや校内暴力の問題、不登校などいろいろな問題が身近なところで起こっています。教育という問題は経済とか政治の問題とかかわってきますから、教育の中だけでは解決しません。つまり政治と経済と社会と文化の領域は、密接にシステム論的に結びついているのです。
私は<社会>を考える場合、アソシエーションを基本的な活動単位にしますが、生活クラブ生協神奈川の場合も、自立した個人のアソシエーションから出発しますす。アソシエーションは、具体的には、協同組合とかワーカーズ・コレクティブとか、地域通貨などです。
経済的アソシエーションを考える場合、貨幣ではなく言語メディアが重要です。いま重要なことは、言語メディアによって結ばれる人間関係である社会と文化を、経済とか政治の領域に浸透させていくことです。
政府はいろいろ法律をつくるけれど、本当に言語メディアで十分討議ができ、市民の要求が政策に十分反映しているとは言えない。21世紀市民社会の基本的な方向は、政治、経済から社会ではなく、社会、文化から政治、経済へです。市民社会は、言語メディアを基本にして、お互いが議論し対話をし、物事が合意に基づいて決定される方向で、経済や政治の問題を考える。言語メディアを基本にして経済や政治の問題を考えるのがアソシエーションの問題なのです。ところが今は逆で、貨幣と公権力の問題が社会と文化の中に入ってきて、いろいろな社会問題をもたらしています。
生活クラブ運動は経済的アソシエーション、そして政治的アソシエーションをもっと活性化し、市民社会における政治のあり方を確立していく中で、集権的な国家の政治に対してどういうインパクトを与えていくかという課題に向き合っています。政治的アソシエーションの基本的メディアは言語でしょう。対話とか討議でいかに合意をつくり、実践をするかです。党首討論がありますが、あれは儀式です。政策はどこで決まるかというと、政官財癒着の談合によってです。その談合的公共性をどうやったら市民的公共性に変えていけるかが課題です。
アソシエーションの類型を考えてみますと、神奈川の生活クラブ生協には、四つのアソシエーションがあり、一つは「個別的な悩み解決型アソシエーション」です。これは自助グループ、アレルギー、依存症、健康、ケアの問題、癒しの問題、あるいは個別的に悩んでいる人たちが、問題解決の仲間の関係をつくっています。一番多いのは、「自己啓発的アソシエーション」です。料理、趣味、スポーツ、音楽と芸術、技術を習得する、資格を習得する、などのアソシエーションをつくっています。それから、「地域課題解決的アソシエーション」です。これは、食、環境、子育て、高齢化社会、生活環境、自然環境、学校、教育、そういう問題です。それから、未来志向的な、「オルタナティブ型アソシエーション」として、有機農業支援、地域通貨、太陽光発電、バイオマスエネルギーづくりなどです。
いろいろな考え方がありますが、基本的な原理はアソシエーションです。言葉を使ってお互いを理解し、お互いが協力し合う、社会というのは相互肯定的な関係ですが、この関係が崩れてきた。この関係を復活するためには中間集団としての共的セクターを形成していくことが非常に重要です。生活クラブ生協は、地域の中間集団の形成なんです。それがコミュニティを形成し、ひいては社会全体の活性化につながる。
市民社会の歴史にはイギリスのピューリタン革命があり、身分制の廃止、議会制民主主義、営業の自由が求められました。これはイギリスだけではなく、フランス市民革命、アメリカ独立革命においても、基本的にはそうです。フランス革命前の身分制度は、「貴族」と「僧侶」と「市民」ですが、この場合の市民というのはブルジョア市民のことです。かれらは政治上の権力はなかったから、制限選挙に基づく議会政治と、企業の自由を求めて革命の推進力になった。
フランスに、ル・シャプリエ法という有名な法律があった。これは営業の自由を認めるが、アソシエーションを禁止する法です。法の上では中間集団が弾圧されました。だけど現実には、労働者運動、階級闘争、それから民衆は自由を求めてアソシエーションをいっぱいつくり、常に権力と対抗した。市民革命をとおして、市民社会の方向が形成される。その場合の市民社会の基本的な原理として、国家権力と資本制支配からの自由が方向づけられます。
ヘーゲル、マルクスは市民社会はブルジョア市民社会で、それは資本主義社会そのものだと理解しました。資本主義とは人間の欲望の体系で、そこではエゴとエゴがぶつかり合い、社会を無秩序状態におく。それをコントロールするため国家が必要だと考えたのがヘーゲルです。市民社会というのはイコール資本主義社会だという考え方しか当時はなかったのです。
ところが、最近はハーバーマスという社会哲学者が、新しくシビル・ソサエティという言葉で、市民社会をはっきりと市場と国家から自律した<市民社会>と肯定的にとらえています。今の市場のあり方、国家権力のあり方そのものを批判する勢力、あるいは精神がないと改革できません。市民社会は、言語を媒介にした自由な協をとおしての合意によって、いろいろな物事を決めていく。言語メディアを媒介として形成される社会と文化、これが経済、政治のあり方にどういうインパクトを与えて変えていくかということが課題です。
自由がもつ支配への欲望をいかに抑制し、市民公共的な自由を可能にするかが問題になります。自由とは、経済活動の中で他者を支配して自分の欲望を拡大するという自由でもあります。それをどうやって制御していくか、それは市民的公共圏の問題です。自由に内在する自己中心的な政治的・経済的権力への欲動を制御するのが、<市民社会>論の核心です。
アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンを中心に、アソシエーション、NPOの歴史をみてくると、いろいろなかたちで、権力との闘いが出てきます。そういう意味では、市民社会の原型は、市民革命のうちに見いだすことができますが、それはヘーゲル、マルクスのような市民社会イコール資本主義という文脈とは違う。もっと根底的に、国家権力と資本制支配に対する批判的な勢力というのが、いつの時代でもずっと地下水脈として流れてきている。
今は、非市場的なもの非国家的なものに支えられなければ、市場も国家も存立できない時代になっています。日本でも、NGOの人たちを無視しては絶対に国の政策、援助なんてできません。非資本主義的な社会に支えられないと、資本主義は存続できない。存続するためには、資本主義社会そのものが変わらざるを得ない。変えるのは非資本主義的な要素で、それは市民社会なのです。これが、21世紀において、ますます重要な課題になっていくと思います。
アソシエーションの基本は少なくとも自立した個人です。いまだに日本の社会は同調社会、長いものにはまかれろという社会だと考える人はいます。しかし、滅私奉公から活私開公という概念になってきました。アソシエーションは、人々が自由・対等な関係で、かつ自由意思にもとづいてボランタリー(自発的)にある共通目的、使命のために結び合う非営利・非政府の民主的な協同のネットワーク型連帯の組織なのです。
一番重要な問題は、「自由意志にもとづいてボランタリーに」です。ボランタリーというのは非営利であり、お金のため、権力のためではない。それから重要なのは他者への自由、配慮です。いまアメリカ人はブッシュのイラク攻撃に70%ぐらいの人々は肯定的です。しかしそれをボランタリーといえるかどうか問題です。
法人格NPOが日本で1万をこえましたが、政府などの助成金や委託問題があって、権力の傘の中に取りこめられてしまう危険もあります。本当に自立してNPOが活動できるかが、非常に大きな問題です。少なくとも政府から自立して、自分たち自身で考えて、それから非営利、非政府の方向を維持していくことは、日本の場合、容易なことではありません。
21世紀市民社会の課題は、グローバル化した市場資本主義経済システムに対し、いかに<グローバルな市民社会>を形成するのかにあります。国境をこえた市民の連帯が、グローバルな市民社会を形成します。それぞれの文化の差異を相互に理解し承認し合いながら、その差異を乗り越えて連帯を広げなければいけない。日本の社会は非常に同質的で、差異を認めずに排外的な面があります。しかし、異質と異質のものが議論しあって新しいものができていく。日本がそういう社会と文化をつくっていくことが、21世紀日本社会の課題です。
「生活クラブ運動は、現代資本主義社会および国家のもたらしている人々の生命・生活にとっての危機的位相を、消費材の共同購入活動とさまざまなアソシエーション活動をとおして共同主観化することによって、現代資本主義社会や国家のあり方に異議申し立てをするのみならず、自らの運動資源を創出することによって、オルタナティブ社会をめざして、人と人とのネットワークを拡大しつつある生活者・市民の運動である」。少しややこしいけど、私の生活クラブ運動に対するポジティブな定義です。
先に述べた4つのセクターのより望ましい関係をどうやってつくるか。社会システム論的な立場からいうと、4つのセクターが相互に対抗、批判しながら、なおかつ全体としてどのような一つのシステムをつくるのかです。アソシエーションの活動は、国家と市場との間にある比較的自由な活動空間です。それは絶えざる対話と討議、コミュニケーションによって、そのときどきに結ばれる社会契約と考えています。そういう社会をどうやってつくっていくか。グローバルな視点を入れて、社会システム論を構築するということは非常に重要なことです。(さとうよしゆき)
<文責編集部>