90年代に入って、東西対立という冷戦構造が終わりました。しかし、新たな南北対立が激化しました。それは、地域紛争、貧困、環境破壊、人権侵害が深刻な事態です。
国連は、これらを「グローバルな課題」として、サミット級の会議を毎年開いてきました。首脳たちは、2000年までの「行動計画」を作成し、その実施を公約しました。しかし、それらは全く実施されませんでした。さらに、2000年、国連はミレニアム・サミットを開催し、2015年までに、貧困を半分に減らすという「ミレニアム開発ゴール」を採択しました。これを達成するには、先進国政府が、貧困国の債務を帳消しし、1日2兆ドルという投機マネーに課税するという「為替取引き税(CTT)」を導入する、さらにODAを倍増するなどというかなり大胆な政策をとらねばなりません。国連の最後のサミット会議になるだろうと言われる、ヨハネスブルグの「持続可能な開発サミット」に対して、私たちは、何をすべきでしょうか?
92年、リオの地球サミットでは、「アジェンダ21」が採択されました。今年8月、リオ+10のヨハネスブルグでは、その「実施文書」を採択します。今度は、「持続可能な開発」がメインテーマです。結局、アジェンダ21は実施されませんでした。ですから、その実施について決めるのです。実施文書は国連文書で、加盟国政府が責任をもって「実施」して行くものです。
この政府間会議に並行して、国連は9の円卓会議を開きます。これは企業、農民、労働者/労組、女性、先住民、青年、地方自治体、科学者/技術者、そしてNGOの9グループです。国連の規定では、企業は市民社会に入っておりませんが、一方NGOは市民社会の一員となります。この場合のNGOとは、人権、環境、開発援助NGOに限られます。
円卓会議の結論には、なぜか実施の義務がありません。国際法上、国連の決議にも拘束力はありません。安保理事会の決議だけが加盟国に拘束力があります。日本の外務省も、国連決議は実施しなくていいという立場です。ですから国連決議を実施させるのは、市民社会が、「自分の政府が何を国連で公約したか、またどのような決議に採択されたかを、よく知っているかということにかかっています。多くの人が国連決議を知っていなければなりません。
日本で国連決議がいくらかでも実施されたのは女性問題です。それは、75年のメキシコの国連第1回女性会議から多くの女性が参加してきたし、95年北京には6000人が日本全国から参加しました。参加の内容については問題があります。観光旅行だったり、地方自治体が援助して連れて行ったりしたということはありますが、北京会議の決議を相当数の女性たちが知っているとことが、日本政府を動かした最大の原因なんです。
このように、NGOが参加して、国連で何が決議されたか、自分の国の政府が何に賛成したのかということを知れば、それを実施させる力になるとしたら、国連会議への参加やロビイングが、非常に重要になります。市民社会の役割はそういうところによく表れていると思いますが、国連レベルでは、政府間会議に並行して、円卓会議が開かれるところまでいっています。
日本では、やっとNGOという言葉が定着し始めてきました。しかし、乱暴ですが、私は「NGOの時代は終わった」といいます。みんな目をまるくしていますが、実際にはNGOの役割は終わっています。なぜそうなのか、NGOの歴史を振り返って見ましょう。
NGOが最も活躍したのは地雷廃絶キャンペーンです。90年代にさまざまなNGOが地雷を取り除いたり義足を作ったりということをやっていました。ところが、地雷を取り除くのに100ドルかかるけれど、埋めるのは5〜6ドルで済む。エネルギーとお金をかけて地雷を除去しても、新しい地雷が簡単に埋められてしまう。これは、「元を断たなければいけない」と思うようになりました。
地雷廃絶は、ジュネーブの国連軍縮会議のテーマです。しかしそこでは、核問題が優先しており、対人地雷は第2の小火器問題の一つです。もしNGO地雷問題を提起するとしたら、ジュネーブの軍縮会議の場だけど、そこでは対人地雷の重要度はうんと低いわけです。そこで、ジュネーブ軍縮会議から独立させて、対人地雷禁止条約を作らなければいけないということになりました。
対人地雷禁止条約の国際条約を結ぼうというキャンペーンを"見える"ものにしたのは、実はダイアナ妃の支持を得たことでした。ダイアナ妃が有力なマスメディアを引き連れてアンゴラの地雷原に入った。それで世界に知れるようになった。もう一つの戦略としては、先進国の中でミドルパワーカントリー(中権国)というカテゴリーをつくりました。これは、開明的な福祉大国であり、人権大国である北欧三国、オランダ、カナダです。それらの国を相手に強力なロビイングをして、オタワの地雷禁止条約の締結にまで漕ぎつけました。これはNGOの成熟度を表しています。NGO抜きにして国際政治を語ることはできない。国際政治の場でのNGOの地位が確立しました。私はNGOとして最後の事業であったと思います。
それを受けまして、債務帳消しのジュビリー2000のキャンペーンが始まりました。もちろん、OXFAMなど巨大なNGOも参加しました。しかし、大部分はローマ法王を頂点とするキリスト教会であり、1億2000万人の労働者が加盟している国際自由労連でした。世界医師会、消費者インターナショナル、国際社会福祉協会も参加して、市民社会ぐるみのキャンペーンになった。
債権者の中で最も力があるのはG7首脳です。ジュビリー2000はG7サミットをターゲットにしました。だから、サミットが開かれると、会場を「人間の鎖」で囲む。これが圧力です。そしてジュビリー2000の代表がG7と交渉する。99年、ケルン・サミットでは700億ドルの債務帳消しの約束をとりつけました。
ジュビリーの場合は、G7のサミットそのものを認めます。認めた上で、G7首脳に債務問題を最大の議題にしろ、帳消しの決議をしろと要請するのです。
NGOが単独で地雷禁止条約を成立させたプロセスとジュビリー・キャンペーンとの違いは、ジュビリーは市民社会ぐるみであったこと、世界中から集まって、数でもって無言の圧力をかけるというところでした。それが世間の目には、非常に成功した、と映りました。それにヒントを得たのが、その次にきたシアトルです。
99年の11月に、WTOの第3回閣僚会議がシアトルで開かれました。ここでは、市民は、「閣僚会議を開かせない」という戦略を立てました。これがジュビリーと決定的に違うところです。今度はWTOそのものを認めないのです。なぜなら、95年にWTOができたときに約束した実施項目があり、たとえば典型的なのは、アメリカ、ヨーロッパでは、年間3000億ドルもの補助金を農産物に出して、安い農産物を途上国にダンピングしています。その補助金を廃止するという約束を実施していないわけです。それをほっておいて新しい問題をWTOに持ち込む。一番の大きな問題は投資問題です。
OECDが多国間投資協定(MAI)を秘密裏に起草した。OECD加盟国間で秘密で交渉することがミソだったわけですが、この草案をカナダが市民社会にリークした。この秘密草案を、ラフル・ネーダーのロビー組織の「パブリックシティズン」がインターネット上で暴露した。多国籍企業の顧問弁護士だったロリ・ワラチという優秀な人が、協定草案のパラグラフごとに細かな解説をつけ、締結されると「こういうことになりますよ」と示した。みんな飛び上がって驚いたわけです。
市民社会が一番強いのがフランスですから、ジョスパン政権を突き上げて、フランス政府がOECDのMAIの交渉から脱退した。それで多国間投資条約は廃案になりました。
今度は、この廃案になったMAIをWTOに持ち込もうとした。それに基づいて新たな多国間貿易交渉(新ラウンド)を始めようというのが、シアトルのテーマでした。だから、それをやらせないため、シアトル会議を開かせないということで、ワラチは「声明文」案をインターネットに乗せた。もう一方では、カリフォルニアで、「直接行動ネットワーク(DAN)」ができました。DANのグループは、WTOの代表が会場にいることを、非暴力不服従の戦術で阻止しました。
70年代には、途上国は、南北対決のリードしていましたが、80年代、債務危機とともに、IMF・世銀の構造調整プログラムが導入されて以来、政府がガタガタになりました。今ではアフリカなどは大学を出てもいい人が政府に就職しません。途上国政府の質が悪くなり、代表は英語もちゃんと話せない。特にWTOのように、高度の知識が要るところでは、交渉も非常に難しいんです。WTOの第1回、第2回閣僚会議では、途上国側は抵抗していません。NGOが反対しはじめたら、初めて、アフリカ会議が開かれ、アフリカは新ラウンドに反対しました。WTOの中の矛盾も一挙に出た。アメリカとEUが対立するなど、さまざまなことが起こった。
以後、もう一つ大きな問題としては、自由貿易地域構想があります。一番進んだ形はEUです。2番目はNAFTAで、アメリカとメキシコとカナダで自由貿易地域協定を結んでいます。ところがNAFTA条項の第11条に穴があいていて、NAFTA条約の名前を「Free
Trade Area of America(FTAA、米州自由貿易地域協定)」に変えればよいのです。これで南米、中米に広げることができます。
すでに、NAFTAの段階でアメリカ企業の横暴が問題になっています。カナダでは、多くの州政府の環境規制が廃止になっています。しかし、よりひどいのはメキシコです。メキシコは、自由貿易協定が結ばれた途端にチャバスの反乱が起こりました。私が訪れた76年には物価が安かったのに、今度行きましたらアメリカ並みの物価高でした。94年NAFTAが結ばれて以来、メキシコのGNPは急成長し、輸出が毎年平均20%増えた。だけど、増えている輸出の80〜90%は200社の製品で、それは全部アメリカの進出企業です。労働者の実質賃金は急速に下がっています。94年の7割ぐらいになっている。その結果、貧困層が増えていて、格差が拡大した。これがラテンアメリカ全体におよぶわけですから、FTAA構想にみんな強烈に反対しているわけです。昨年4月、米州34人の首脳が集まって米州サミットを開きました。これはFTAA協定を、2005年に発効すべく交渉をやっているわけですが、たぶん2005年には結ばれると思います。そうすると、ラテンアメリカと北米を含めた南北アメリカの一自由貿易地域ができて、これをアメリカ企業が完全に制覇するのです。
去年ブラジルに行きましたが、僻地に住んでいる、読み書きもできない協同組合の小農民がWTO反対の素晴らしい弾劾演説をするわけです。「ブラジルの農産物はラテンアメリカ一安い、でもアメリカの農産物より高い。ブラジルでは農産物の輸出度が高いので、農民が生産しているものが国際市場で米国産の農産物と競争している。だから農民は、WTOの自由貿易推進に原因があることを肌で感じているのです。
シアトルのデモはまったく新しいものでした。「WTOはいらない」というスローガンです。そのデモがIMF・世銀総会、G7サミットと続き、ついに9.11の直前の7月、ジェノバのG7サミットでは25万人が集まった。その共通スローガンは「反グローバリゼーション」です。これは、グローバリゼーションに何でもかんでも反対しているわけではない。むしろ、彼らはグローバリゼーションの受益者でもある。万単位の人が集まれるのは、インターネットのお陰です。これまでのような大きな団体が動員するのではないのです。たとえば1人で管理しているサイト―勿論ある種のスタンスや政策がありますが―がいったん呼び掛けを行うと、共鳴する他のグループがそのメールを転送し、瞬く間に全世界に広がっていく。これまでの動員ではないのです。
それから新しい実行委員会の形に、「Convergence(収斂)」があります。これまでの実行委員会形式では、各組織の代表が集まって、実行委員会の代表がいて、という形態ですが、大きな目的や対象に同意するだけで、細かいことは個々のグループのリーダーに全部任せる。デモもどこから始まるかわからない様子です。デモも十字路に差し掛かると、次々と加わってくる。とにかくみんな自主的にやっています。いままでの形式を一切破った新しい運動です。
去年12月、ブリュッセルのEUサミットでは8万人、今年3月のバルセロナには20万人の抗議デモでした。これには、サミット・ホッパー(追っかけ屋)だという批判もあり、議論をしようということで、去年の1月からブラジルのポルト・アレグレで世界社会フォーラムが開かれました。私に招待状がきたときには、500人と書かれていました。しかし、蓋を開けたらなんと1万6000人なんです(笑い)。私は1つのセッションの司会をしましたが、会場には、2500人が詰め掛けてきた。パネラーをせかせて、討論の時間を1時間取りました。そうしたら200人ぐらいがマイクの前に並んでしまった(笑い)。スペイン語やポルトガル語圏の人はしゃべるの何のって、「マイクを取り上げて」といっても駄目。めちゃくちゃでした。
1昨年3月、「アジア太平洋資料センター」とフランスの「経済とヒューマニズム研究所」が共催して、東京で「社会経済」を議論しました。社会的経済とは、利潤追求型の市場経済に対して、社会的な経済活動を指します。これには、協同組合や共済組合(Mutual)などがあげられます。連帯経済とはこれにワーカーズ・コレクティブ、フェアトレード、地域通貨、マイクロ・クレジット、NPO、NGOだとかが加わります。
ポルトアレグレがその連帯経済の典型です。博物館や学校も共同組合方式でやっています。すでに12年前から、ポルトアレグレ市では、Participatory
Budget(参加型予算)が実践されています。市の予算の80%ぐらいを20の地区に分けて、市会議員と市の役人と住民代表とが3カ月ぐらいかかって使い道の優先順位を決めます。フランス語で連帯という言葉に形容詞、エコノミーソリデルがあります。フランス人がそれを使い始めた。連帯に基づいた経済ということで一応落ち着いています。私は連帯経済と訳していますが、まだ漠としていて学問的な理論付けもないし、実践も小さな規模でしかないが、それを目指していこうということです。
(本稿は当日の講演録に若干の加筆をいただきました:編集部)