20世紀の最後の20年間を振り返りますと、世界の構造を大きく組み替えるほどの劇的な変化が相次いで起こりました。米ソの冷戦が終結する。そして75年続いてきたソ連共産主義体制が崩れ去る。そのことによって、アメリカ一国だけが超大国になる。そのアメリカが主導するグローバリズムのうねりが世界を覆う。同時に中国をはじめ、東アジアの経済的な躍進が始まる。さらに、IT革命、情報技術革命が急展開し始める。さらに地球温暖化も含め、地球環境の危機が一層深まる。そういうことで、日本の国家戦略を根本から揺るがすような激動が、この20年間に続いて起こったと思います。
ところが、これに対する日本の戦略的対応が極めて鈍い。そして、世界の新しい潮流から大きく立ち遅れてきたのがこの20年です。特に90年代の10年は「失われた10年」とよく言いますが、日本社会を覆う、出口の見えない、国民が夢を持てない閉塞感、それはまさにここに根本的な原因があると思っております。
こうした世界的な構造変動は日本の政治、経済、社会のあらゆる分野に非常に強烈なインパクトを与えておりまして、今日のテーマである地域経済にもさまざまな再編成を迫っているわけです。こうしたインパクトにどう対応するかというのが、21世紀初頭における、あらゆる組織、あらゆる地域にとって切実な課題になっていると思います。
背景の第一は、グローバリズムの進展によって、300年近く続いてきた、いわゆる“nation state”(国民国家)の機能が相対的に低下しはじめ、地域が「国家の中の地域」から「世界の中の地域」に再編成されてきている。そしてボーダレス時代における地域政策の主体として、新たな自己形成を求められるようになってきたことです。
また、国民経済は地域経済をトータルしたものではありますが、グローバル経済化の大競争(メガコンペディション)の中で、地域が初めて直接世界市場での競争にさらされるようになってきたわけです。したがって、これまでの全国一律、画一の国家主導型地域産業政策が次第に有効性を失う。そこで地域は、国家依存から抜け出して、地域産業政策の主体として自らを自立させなければならない、そういう意識が強まってきている。80年前後から始まった地域産業政策づくりが―これは神奈川県が先頭に立ったのですが―いまや地方中小都市を中心に基礎自治体にも広がってきております。
ここで、注目すべきことは、より自主性、自立性を増した地域が、ボーダレス経済の中で国境を越えた地域間の協力関係を発展させる可能性が生まれてきているということです。
それから、背景の第二は、ポスト工業社会、脱工業社会、つまり知識・情報社会への移行に伴って、日本の経済大国化を支えてきた工業社会型産業構造、これとセットになってきた地域構造、都市構造がいま大きく揺らぎ始め、再編成過程に入っているということです。
この要因としては、第一は情報革命を中心とする技術革新の進展と、これに伴う経済体質の変化。第二は、資源・エネルギーや環境問題からの経済活動への制約が増大してきた。従来の生活様式と、これを支えてきた産業構造が大きく揺らぎ始めてきたわけです。第三は、韓国、香港、台湾、シンガポールの、いわゆるNIES(新興工業経済群)が先行し、ASEAN(東南アジア諸国連合)がこれに続き、さらに中国につながる東アジア諸国の目覚しい経済発展、それから冷戦の終結とソ連体制の崩壊による旧共産圏諸国が一斉に市場経済に参入してくる、そういうことで、地球規模の大競争時代が始まる。85年のプラザ合意以降、急激な円高によって日本の重化学工業が次第に国際競争力を失うだけではなくて、電気機器、自動車など、量産型加工組み立て産業もまた製造コスト削減のために生産拠点を次々に海外に移し始めました。こうした産業構造の激動の中で、企業は生き残りをかけて必死にリストラを進め、雇用の削減という、非常に大きな犠牲も生まれてきているわけですが、重化学工業や大型工場の城下町的都市のいくつかは、こうした産業の衰退によって地域が崩壊するという危険にさらされるようになってきています。
分権改革の問題を簡単にしますと、ヨーロッパや東アジアでも、実は非常に分権改革が進んでいます。日本でもようやく2000年の4月1日に地方分権推進一括法が施工されましたが、自治体側の創意工夫と血の滲む地道な努力なしには、この分権改革も絵に描いた餅になりかねないだろうと思います。
特に今回の改革で、明治以来100年以上続いてきた国の機関委任事務が全面的に廃止された。この意味は非常に大きいと思います。特に都道府県の事務の8割が機関委任事務だったわけですから、都道府県の役割は大きく変わるはずです。
80年代以降、特に90年代に台頭してきたNPO活動は、行政からのサービス拡大の要求や、あるいは行政の補完活動ではなくて、行政と並ぶ、独立したセクターとして社会的、公共的サービスを自ら開拓し、供給しようというところに重要な特徴があります。自立した市民の自己実現を目指すボランティア精神に支えられた活動で、市民社会の成熟を反映していると同時に、市民個人のボランタリーなイニシアティブによって、市民社会を21世紀型に再構築していく可能性をもはらんでいるのではないかと思います。神奈川ワーカーズ・コレクティブの運動は、そういう意味で全国から大変に注目を集めているわけです。
今から20年ぐらい前までは地域産業政策の主体はあくまでも中央政府で、地方政府は国の全国画一、一律の政策をそれぞれの地域でいかに具体化するかという役割に限定されていたわけです。神奈川県が全国の自治体に先駆けて、神奈川の産業構造を資本集約型から知識・技術集約型産業構造に転換させようとして、いわゆる「頭脳センター構想」を自治体の産業戦略として提案したのが78年です。さらに、これを受けて神奈川の総合産業政策を決めたのが82年。しかし当時はまだ県が産業政策の主体になることについては、国や県庁内にも強い抵抗がありました。最近では政令指定都市や地方都市も、次々に地域の産業政策を策定しております。
しかしながら、先ほど申し上げたように分権改革が不徹底で、財源権限が不十分のために有効な政策が打ち出しにくいこと、また地域の産業政策を企画推進できる人材があまり育っていないというのも大きな問題です。したがって、依然国の産業政策の下請けにとどまっている自治体が大変多いのも、残念ながら事実であります。
まず再編の方向ですが、第一は市場経済のグローバル化が企業の経営戦略や地域の産業戦略に根本的な変革を強いる大きなインパクトをもたらしたことです。企業は今、自らの経営戦略を国民経済の枠を越えて地球規模で展開するようになっています。生産拠点、つまり工場の立地、資源や部品の調達、マーケティング、さらに最近では研究開発拠点の配置まで地球規模で最適地を選ぶ。こういう選択が企業の経営戦略の中心に据えられるようになってきているわけです。
さらに、世紀末の90年代後半から21世紀にかけて本格化してきたいわゆるIT革命と知識経済時代への移行も、地方と地域に衝撃的なインパクトを生み出しています。知識経済時代の本格化につれて、これまでのような工業団地づくりではなくて、大学、研究所、研究開発型企業といった知的創造拠点をつくることが地域の競争力を高める重要な柱になってきました。これまで地域に対して非常に閉鎖的だった大学を、いかに地域に開放していくのか。産学連携をそれぞれの地域でどう進めるのかということが、大きな課題になってきています。
第二は、世紀末から21世紀にかけて急速に進んできた知識・情報社会への転換に伴って、経済は知識経済の時代に入ってきています。したがいまして、21世紀における産業活動、経済活動は、大学、研究所、研究開発型企業などの知的創造活動に一層強く依存することになり、またこうした機能を有機的に結合することによって地域のイノベーションを加速する、いわゆるサイエンスパークやインキュベータの役割が画期的に高まっていきます。まさに科学技術が、大学が新しい産業をつくる時代が、いま始まっているということです。
それから、こうした新しい産業集積をつくっていくには、何よりも人材と情報が集まりやすい環境をつくること。つまり、世界に開かれた情報通信や、交通、物流の高度な、そして低廉なネットワーク、そして特色のある研究型の大学、研究所、さらには病院、劇場、音楽ホール、美術館、博物館、水と緑の自然環境、こういった文化度の高いアメニティのある生活インフラこそが、新しい時代の産業インフラになる時代に変わってきているのです。つまり、企業が地域を選ぶ際に、純産業政策的な立地環境のみならず、教育環境、文化水準、住宅事情、交通事情等々、地域の全体としての暮らしやすさがテストされるということです。そうしたインフラ整備の面で、自治体の果たす役割が極めて大きいということは言うまでもありません。
第1に、農業も含め、一次産業から三次産業の間の総合的な振興を図っていく。第2には、従来の産業優先の弊害を避けるために、環境政策と都市政策、さらに福祉、文化、国際政策などと総合化を図る。第3は、横浜、川崎も含めた県内各地域の産業政策との整合化を図るということです。さらにもう一つは、産業政策と科学技術政策を結合するという考え方です。旧産業が衰退する中で、地域が産業活動で生き残るために、科学技術のシーズをつくり出す体制を整えることが各地域の緊急の課題であるという考え方です。
日本の近代化、工業化を支え、戦後の高度経済成長を引っぱってきた製造業に、いま非常に大きな異変が起きています。世紀末の四半世紀の間に、GDPに占める製造業のウェイトがどんどん低下の一途をたどり、70年の36%が、99年には21%に落ちている。従業者の数も、70年の34.5%から、99年の21.3%に低下してしまった。今や5分の一産業です。
しかし、日本産業の根幹である製造業をこのままにしていいのか。依然世界のトップクラスの競争力を持つ高度な生産技術を生かして、日本が最も得意とする分野を選択し、重点的に高度化して、一段と競争力を高めることに全力を集中するしかない。いわゆるサスティーナブル・ディベロップメントのための新しい技術開発を進める一方で、あらゆる技術を駆使して高度な工作機械、精密機械、高度精密な部品製造などで、製造業の徹底した高度化、リニューアルを図っていく必要があります。
これが第二の大きな地域課題になってきています。つまり、それぞれの地域で、地域の経営資源をもういっぺん総点検し、必要な経営資源をつくり出す。そして、ハイテクの分野だけではなくて、環境、防災、医療、福祉、新しい社会ニーズへのサービス産業など、21世紀の戦略産業の中から地域特性に合った企業、産業を選んで、重点的に育成支援していかなければならないということです。アメリカ経済は91年3月から最近まで好景気が続いてきたが、この10年間のアメリカの経済のパフォーマンスは非常にすばらしいものであった。この間、アメリカでも、大企業を中心に厳しいリストラが行なわれたにもかかわらず、失業率が低下してきたのはなぜか。これはマイクロソフトとかインテルとか、そういうベンチャー企業の勃興に見られるIT革命の進行、あるいは活発なアウトソーシングによる新しいサービス産業などで、ベンチャー企業が続々と生まれてきたことが経済の体質を変え、ニューエコノミー台頭の原動力になってきたということです。
地域の競争力は、個々の企業の競争力を超えて、地域がいかなる産業集積を持っているかにかかっている。ある地方都市に公設の情報センターがあり、そこのコンピュータはグローバルマーケットを絶えずウォッチして、地場産業に情報を的確に与えている。驚いたことに、そこの町工場にNASAやGMから注文がきています。なぜか。その地域がオンリーワンの技術を持っているからです。これがグローバル・エコノミー時代の現実です。地域の競争力とは何かということを考え直して、オンリーワンの売りものをどうやってつくっていくか、そこに知恵を働かそうという時代に入ってきたのではないでしょうか。
工業化が急速に進んでいる東アジア諸国との産業ネットワークをどのように形成していくかということが、21世紀の日本経済の生き残りをかけた最大の課題です。特に中国は改革・開放から20年ちょっとで今や「世界の工場」です。内陸部の開発も始まるので、当分中国の経済成長は止まらないと見ておいた方がいい。日本の中国に対する過去の歴史認識は非常に誤っていますが、最近はその上変化する中国の現実認識でも立ち遅れているのが、日本の大きな問題です。中国脅威論と言うけれど、とんでもない話で、日中は共存・共生していくしかないわけです。世界銀行の『2020年の中国』を読むと、中国WTO加盟の最大の受益国は日本だと分析しています。
神奈川経済を再生させる上で一番大きな課題は、工業生産基地としての役割を終えつつある京浜臨海部をどうやって再生させるかという問題です。最盛期の京浜工業地帯は世界最適の工業生産基地だったと思います。浅野総一郎さん以下、営々として世界最強の競争力を持った工業生産基地をあの臨海部につくってきたのです。われわれは、その志を引き継ぎ、しかも知識経済時代に備えて京浜臨海部を新たな意味での世界最適地にしていく。環境産業とか省エネとか、防災、医療、福祉など、テーマは今日風にしていかなければなりませんが、そうすることが京浜臨海部をもう一度再生させる鍵になると思います。今まで足かせになっていた、工業等制限三法も今国会で廃止されるようですし、都市再生特別措置法も成立するようです。また、川崎、横浜、県にも京浜臨海部をどう再生させるかという委員会ができており、まさに京浜臨海再生に向けて、「天の時」「地の利」「人の和」が揃ってきたと私は思っております。これからも皆さんのご協力を得ながら、もう少し頑張ってみようと思っております。よろしくお願いいたします。 (くぼたかお)