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第8回月例研究会

川崎市長選挙 −候補者の立場から勝手連と28,000票を読む

奥津茂樹(参加型システム研究所主任研究員、かながわNPO大学学長)


 今日は、政治的な総括ではなくて、むしろ候補者という私自身の経験を参加型という視点からとらえる機会と考えています。通常は候補者が大勢を前にこういう総括をすることはないようですが、あえて自分の思いを出すことで、なぜ負けたのか原因をつかむ努力をしたいと思います。レジュメに従って話をすすめます。

1.はじめに

 選挙も一つの参加型の営みです。参加型についての私自身の未熟さが完全に露呈された選挙と思っています。未熟さとは二つあります。第一に参加型についての理解が足りなかったこと、第二に頭の中である程度わかっていても実行できなかったことです。

 未熟さに加えて、参加への意欲の引き出しが不足していました。今回の川崎市長選挙の投票率は約36%でした。前回に比べて1ポイントも上がっていません。この低い投票率は、基本的には、市民の不満や不安を引き出せなかった私たちの側の責任であったと考えなければいけないと思います。

 私自身は、一市民でいたときには市長選のたびに争点を仕掛けてきました。8年前の選挙のときには市長交際費の公開を求めました。非常に有名になった塩漬け用地も、実は4年前の市長選挙にめがけて仕掛けたものです。当時は情報公開を進めるために市長選挙を最大限活用してきたわけですが、いざ自分が候補者になったら争点づくりがまったくできませんでした。

2.何をめざしたのか

 選挙を通じてめざしたことについては間違っていなかったと思っています。「市民力でとことん改革」というキャッチコピーを掲げましたが、これ自体がわかりづらかったかもしれません。参加型を実践している人たちには、その趣旨が川崎の「構造改革」であることを伝えています。ここでいう川崎とは、市役所だけならず川崎という地域社会も含みます。その「構造改革」とは、官が主導し、それに市民が依存してきた川崎から、「市民が主導し自立する川崎」に変えていくことです。この方向性自体は、もはや避けられないし、間違いないと思いますが、これをどれだけ明確に打ち出せたかは疑問です。

 市民が主導し自立する「市民の政府」をつくる意義とは、川崎について言うならば、まずは非常に高い人件費の比率を変えていくことです。今のままではまちづくりなどの投資的経費を増やせないだけでなく、財政が破綻しかねません。しかし、「構造改革」の主眼はお金の問題ではなく、社会サービスの質を上げていくことにこそあります。私はベストマッチという言葉をよく使いました。市民ニーズとベストマッチした社会サービスを展開し、川崎にベストバリュー(最高の値打ち)を実現していくためには、これまでのように役所が何でもかんでもやらない方がいいのです。

 「市民の政府」が重視することは第一に「市民が提案する」こと、第二に「市民が分担する」ことです。「市民が提案する」ということでは「シティズン・キャビネット」で、これについては、後で少し紹介をさせていただきます。

 「市民が分担する」とは、仕事と、これに付随する責任の分担をさします。その象徴的なテーマがごみの毎日収集の見直しです。ごみの減量化が言われる中で川崎市は依然として毎日収集(うち1回は資源ごみの回収)を続けています。もちろん事業系ごみが圧倒的に多いですから、家庭ごみの毎日収集をやめてもごみが直ちに減るわけではありません。しかし、これを素材として、市民が官に依存してきた構造についての問題提起はできたと思います。毎日収集の見直しは政策に掲げはしたものの、選挙の支援態勢が定まらない中で迷いこれを強調することができませんでした。参加の広がりを生み出せなかった結果から考えるならば、やはり言うべきことをきちんと言って、その中で負けるべきだったという後悔があります。

 市民が提案・分担するには「NPO・市民事業の環境整備」が必要です。たとえば、ほかの候補にも真似していただいた空き店舗の活用があります。景気低迷は続きますが川崎は豊かだと発想の転換をしました。126万の大都市ですから、地域の資産があり、人材もいる。これまでのように役所が更地に施設を建てて公務員が運営するのではなく、豊かな地域資源を活用して社会サービスを展開すればよいのです。そのための場所の確保をはじめとして、NPOや市民事業が活動しやすい環境を整えるのが「市民の政府」の役割です。

市民が提案・分担する参加型の政府をつくる必要性は、選挙の勝敗に関わりなくいまもなおあるはずだと思っています。

3.どう実現しようとしたのか

 「市民の政府」づくりをどう実現しようとしたのか、二つ挙げました。第一に勝手連による参加の広がりを期待したこと、第二に市民主導の政策づくりをしたことです。小さな枠組みでは市長選挙は難しいという判断から勝手連に期待したのですが、政治的な動機だけではなく私なりの思いもあります。まず個人の意思・自発性を重視するためです。「市民の政府」「市民の市長」というからには、組織ではなくて個人を重視するスタンスをとるべきだと考えました。また勝手連が湧き上がることによる市民の雑居性に期待しました。

私自身は基本的には市民派という概念自体は否定しないものの、あまりそれを純化、美化することは避けたいと思っていました。私自身も長く市民活動をしてきましたが、ややもすると参加する人たちが自己の絶対化に陥りやすい傾向があります。市民は善、役所は悪という認識に象徴されるように、単純に図式化してしまう人が少なくありません。しかし、市民や市民社会というものはもっと複雑で、いろいろな人たちの間で議論と合意を実践するのが市民派です。議論と合意を意味あるものにするためにも雑居は必要不可欠であり、選挙も勝手連による雑居を基盤とした議論と合意の深化を期待していました。

 私が8月4日に立候補表明したときに、ボーダレスを強調したのはそのためです。境界があるところでは資格審査をするので、ボーダレスでなければ雑居はできません。このコンセプトに沿って選挙態勢が雑居状態になり、異なる「市民」同士で議論をしながら政策をつくりたいという思いがありました。

 また「市民主導の政策づくり」を現実のものにするために、基本的には政策づくりもなるべくいろいろな人と一緒にやっていこうと考えました。レジュメにあるとおり「政策づくりの過程で市民主導を基本にすることも市民参加の一つ」なのです。つまり、「市民の政府」「市民の市長」「市民の参加」を掲げる自分が、「すでに私がつくった政策があるから、これを理解し、合意してください」というやり方ではいけません。そのためにシティズン・キャビネットという器をつくりました。ただ、これを機能させるには、もっと時間と参加の広がりが必要だったとは思います。これについては、後で言う日常活動がもっとしっかりしていればという反省にもつながります。「公開と参加」が基本なのですが、ここでいう参加が広がりを欠いていたのです。

ただ、私はシティズン・キャビネットについては、いくつかの果実をもたらしたと思います。少なくとも専門性は市民にあるということを出せました。たとえば、精神障害者については、精神障害者やその家族が一番よく知っているわけで、その専門性こそ政策づくりに生かすべきなのです。

 「市民主導の政策づくり」と言いながら、私がいくつかブレた点があります。第一に市長という器のイメージができませんでした。そのためによく言えば総合的な政策、悪く言えばいろいろな政策を掲げすぎてしまった。その結果、政策のメッセージ性がなくなってしまいました。第二にメディアの影響を受けて、彼らの関心に対応する政策に配慮しすぎたことです。メディアとは距離を置こうと努力したのですが、まったく無視はできませんでした。メディアが争点と掲げていても市民が関心を持っていない政策はたくさんあります。それらは適当に受け流すべしという当初の私の勘を、もっと大切にすべきでした。そんなことで、「市民主導の政策づくり」も一応形はつくろうとしましたが中身が伴わなかったのです。

4.何が足りなかったのか

 「何が足りなかったのか」といえば、第一にメッセージの明確さ、争点提示です。何のための選挙なのか、何を変えるのか、何をつくるのかというところを、私自身が十分に打ち出せませんでした。スタンスへの迷いというのがいくつかありました。それは、私を支えてくださる人たちが、どういう集合体になるのかということについての明確な見通しがなかったからです。政治に慣れている方からすれば、そんなのとは関係なく自分を打ち出せばいいじゃないかという話かもしれません。この点でも私は政治的に未熟だったと思っています。「ついてこない人はさよなら」と考えればよかったのかもしれません。

また、人権、平和、外国人政策など現職の政策をある程度は引き継ぐべしとのアドバイスもあって、「継承」が常に頭の中にあったこともスタンスへの迷いを生み出しました。さらに、先に述べたような川崎の「構造改革」とかを強調しても、市民がはたしてどこまで食いついてくれるのか自信のなさがありました。これらのことから、私が発すべきメッセージや争点が不明確になってしまったのです。

 第二に「参加の広がり」が足りませんでした。立候補を決心した当初、私が想定し、期待していたのは既成の政党や組織の枠組みを超えた幅広い支援態勢でした。しかし、最終的には、それとはまったく違う展開になってしまったわけです。たしかに、いくつかの参加の広がりはありました。しかし、全体として内向きの傾向が強く、外への広がりとしてはやはり少なかったといわざるを得ません。これは、候補者として挨拶回りをしたり、ミニ集会に参加していく中ですぐに見えてきたことです。このため、その後の展開に相当の危機感を持ち悩みもしましたが、なかなか短期間での修正は難しいと考え覚悟を決めました。

 「参加の広がり」には「日常的な地域活動」が必要不可欠です。これは第一に地域活動を主体的に担ってきたこと、第二にそれを政治とつなげることをさします。この二つが候補者とこれを支援する側にあらかじめなければいけなかったと思っています。候補者だった私自身については、川崎市内に住みながら十分な地域活動をしてきませんでした。全国各地を飛び歩いていますから、いろいろな人や問題にタッチしているつもりでいましたが、まさに「灯台下暗し」だったのです。

 また「参加の広がり」に欠かせない「異業種交流」も不足していました。「異業種交流」が議員選挙と市長選挙の決定的な違いだと思っています。議員選挙の場合は、一つの政策理念や政策の内容で一致できる人たちの内側をまずは固めることが重要です。市長選挙の場合は、「異業種交流」を日常的にどれだけできていたのかが、まさに問われます。私自身については地域活動が十分できていない中で、「異業種交流」なんて何をかいわんやでありました。こうした候補者の不足を補うだけの支援態勢もありませんでした。選挙活動を通じてにわかに「異業種交流」をやりましたが、けっしてつながれない人たちでないとわかったことが一つの果実です。

 参加型の政治をやっていく上でも、情報の共有化が非常に重要だと思いました。私は情報公開についての講演・職員研修で、情報の共有化の必要性を偉そうに言ってきたのですが、それが選挙活動の中でいかに図れたのかが疑問です。政策はもちろん戦略や戦術の趣旨について、選挙活動にかかわる人たちが十分に理解、了解していなければ出力はあがりません。これらをどう表現し、伝えていくのか情報の発信力も問われたように思います。

 これからのリーダーシップとして一番重要なのは「コーディネート力」です。これもまた不足していました。選挙だけでなく地域社会でも市民が「雑居」する中で、放っておけば必ず喧嘩をして別れてしまう。または、別れるどころか石の投げ合いになるという状況の中で、どう合力に変えていくのかという、かなり積極的な意味での調整力が重要だと思います。

 「市民選挙のイメージ&デザイン」も明確に描けずにいました。とりわけ政党との関係であり、具体的には政党の推薦を得るかどうかという話です。神奈川NETには勝手連的な支援をしていただいたわけですが、ほかの政党やほかの議員との関係を含めて推薦をどう理解、評価するかについて曖昧なままに終えてしまいました。このことは、政治的には非常に大きな欠陥だったと思っています。

 不足していたものとして最後にあげたいのは、候補者の「地力」です。本来持つ力という意味ですが、かぎカッコをつけて表現したのはもう一つ意味があります。それは、地域に根っこを張っていないことの弱さみたいなものが出たという趣旨です。

候補者として、どうあるべきかというのは、その都度自分で考え、周囲の意見も聞きながら修正してきたつもりです。私自身候補者になったときの自らが、それぞれの場においてどう動くべきなのかという戸惑いは、正直言ってありました。

そして候補者の「地力」のなさという点でいうと、自らに対する過信が若干ありました。公開討論会などで他の候補と同席する機会が何度かありました。そうした場における会場の反応の良さに依存しすぎる嫌いがあったことは、反省しなければならないと思っています。選挙は弁論だけで決まるわけではないことは当然なのですが、やはり過信があったと思います。

5.おわりに

 最後に、川崎での挫折を今後の糧にしてほしいということをあげました。私自身は、まだまだ十分頭の中がまとめきれておりませんが、やはり「2.何をめざしたか」で強調したように、私たちが目指そうとした方向自体は誤りではない。ただ、それをどう伝えるのかというところが、私自身の力不足もあって、結果的に不足していたと思っています。ですから、いろいろな地域でまたチャレンジが始まると思いますが、けっして諦めずに、あいつはここでヘマったのだから、これを何とかすればいいというような意味での糧にしていただきたいと思っています。

 まだ私自身も参加型政治とは何であるか、参加型システム研究所も、参加型システムの基礎研究会の第2クールに入った段階でして、まだまだ十分中身が確定し得てない段階ですので、ぜひ皆さん方からも、「参加型政治とは何か」についてご助言もいただきたいと思います。

 以上で、私の時間が終わりました。これで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)