●5月12日午後1時半から3時半
●ユニオンビル(富士通労働会館 川崎市高津区)
●コメンテーター:広岡守穂・中央大学教授
●司会:又木京子・参加型システム研究所副理事長
21世紀になりましたが、これからの社会の展望をなかなか切り開けないで迷っている状況があります。私は21世紀は「市民の時代」だと考えますが、それを単なるかけ声だけでなく実体としてつくりあげることが重要だと思っています。
それは課題解決を役所に「お任せ」にしてきた従来のあり方を改めることです。ところが今の政治の状況を見ていると、逆に「お任せ」の空気がいよいよ強まっています。タクシーに乗ると運転手さんが「石原さんに任せれば大丈夫だよね」とか、「小泉さん、元気いいから日本が変わるよね」とよくおっしゃいます。気持ちはよくわかりますが、そこに潜む危うさをきちんと押える必要があります。はたして彼らだけに全面 委任していいのでしょうか。
一人一人が、自分の課題、地域の課題を解決していくのはエネルギーのいることです。できればスーパーマンとかウルトラマンに、きれいサッパリ解決して欲しいと思う気持ちは、よくわかります。しかし、そのスーパーマンが本当に自分たちのためだけに活躍してくれるかどうかは保証できません。「この人は能力がありそうだ」とか「国会が面 白いからやってくれそうだ」というような白紙委任をするのではなく、私たち自身が出来る範囲を広げていくことこそが、これからは必要だと強調しておきたいと思います。
強力なリーダーが全ての問題解決をしてくれるというのは幻です。堂本暁子さん、田中康夫さんなど、市民派と呼ばれる知事が誕生しています。「お任せ派」になってしまうか、市民の力を引き出すリーダーになれるのか、これからを見てみないとわかりません。「とにかく私に任せろ」という政治に対して私たちは「自立派」を立ち上げていかなければいけないと思っています。
しかし、自立という言葉には、何となく冷たい感じがあります。たとえば「財政も破綻しているから、これからは市民が何でも勝手にやってください」というように、社会的弱者までも切り捨てる印象をもつ人もいるでしょう。そこで、私なりのつくり言葉ですが「互助自立」というちょっと矛盾した言葉を使うことにします。これは、市民がお互いに助け合う中でそれぞれが立つことを求めることを指します。
昨年度、川崎市は「市民活動支援指針」をつくるための委員会を設けました。私も委員会のメンバーの一人です。一般 に支援というと役所が市民を支援するイメージがありますが、そういう誤解を避けるために委員会がまとめた「提言」では「支援とは相互支援である」と明確な定義をしました。相互支援とは役所と市民の間におけるものではなく、市民同士の支え合いのことです。基本的には地域の課題、生活の課題は、それぞれが助け合いながら解決していきます。その中で、役所がやるべきことがあれば、そこで初めて関与する。つまり市民が自分で立ち、律することを促進し、相互のつながりを深めながら、個人個人の関係性の中でお互いエンパワメントしていく社会を構想しているのです。
「市民がつくる」ことが必要となる背景には、金がないという川崎市の事情もあります。今年度予算で500億円の収支不足が生じました。一般 会計の年度当初の予算が5千数百億円ですからその1割が足りないことになります。こういう状況をまず明確に認識したうえで、長期的な見通 しの中で財布の中身を確認しながらやるべきことを考え直していくことが必要です。
先日の市の広報に地下鉄をつくることが大きく出ていました。それによると新百合ヶ丘から元住吉までの−期工事の事業費だけで5300億円もかかるそうです。元住吉から川崎までの−期工事を合わせるとさらに巨額な事業になります。今までの公共事業では当初の見積もりをはるかに上回る事業費がかかる例がほとんどで、いったい最終的にはいくらかかるのか不明です。
また、土地開発公社の抱えている「塩漬け用地」の6割にあたる土地731億円を市が買取る再建策が決まりました。このうち530億円は市債、つまり借金でまかなうそうです。
税収も増える見通しのない中で、役所の仕事の仕方自体を変えていかなければなりません。それは、何でもかんでも市の職員の仕事にしてしまい、私たち住民もそこに寄りかかっている構造を根本的に改めていくことに他なりません。私は平塚市から川崎市に移り住んでびっくりしたのですが、ゴミの毎日収集などはその典型的な例です。
そのようにお金がないのであれば、住民が役所の仕事、公共サービスを分担してやっていく道を探るべきではないかというのが「市民がつくる」と題した意味です。
そして、「参加型システム研究所」の参加型システムというのは、まさにそういうものを指しています。参加というと、役所の仕事に市民が参加していくことだと考えられてきましたが、公共サービスを市民が自ら担っていくことも、これからは「参加」と考えていくのです。
しかし、お金がないから市民がやるというだけで面白くはありません。それだけでなく「市民がつくる」ことは大切で、面 白いということも強調したいと思います。例えば、悩みごとを抱える子どもが電話相談する相手は、あちこちにいろいろな人たちがいた方がいいはずです。教育委員会の教育相談だけでなく、NPOやボランティアが相談相手になることで、相性のよい人にめぐり合えたり、解決の糸口を見出せる機会も増えていくはずです。
私自身もいろいろなボランティアをやっていく中で、救われた側面 があります。ボランティアは人や社会のために何かをしてあげるだけではなく、相手と関わる中で自分自身も変わっていきます。「市民がつくる」ことで何かを得ていく楽しさを、いろいろな人、いろいろな世代が経験するのは非常に重要です。
あちこちの自治体の職員研修に行って、情報公開や個人情報保護について話をすると、「職員が一所懸命頑張っているのだから市民参加だとか市民がつくるとか、あまり強調しないでくれ」という職員もいます。
しかし、「市民がつくる」というのは職員の仕事を全否定するものではありません。市民にできることもたくさんあるので、仕事を分担していくことを進めていこうというのがその趣旨です。また、役所には「できないこと」や役所が「やってはならないこと」もあり、そのような仕事については、「市民がつくる」ことはきわめて重要です。
役所には「できないこと」の典型例が土地開発公社の「塩漬け用地」でした。土地開発公社が抱えている土地が巨額になって、金利負担などで公社財政を悪化させた問題です。この「塩漬け用地」は私が火を点けて、市民オンブズマンがガソリンをくべたものです。情報公開条例を活用した市民が働きかけをする中で、役所を動かしていきました。
川崎市に対して私が「塩漬け用地」リストを公開請求したのが1997年の3月です。この問題をめぐってNHKが6月に特集を組み、7月に私が『世界』で論文を発表しました。8月に結成されたかわさき市民オンブズマンに私が問題提起をして、彼らがこれに取り組むことになったのです。なお、9月には元用地部長が用地を巡る汚職で逮捕されました。ちなみに私は『世界』の論文で「代替地は危ない」と指摘したのですが、警視庁はこれを読んでいたのか、逮捕は代替地を巡る汚職でした。
こうした一連の動きを受けて、市自身もいろいろな対策を講じるようになりました。1999年には、「塩漬け用地」処理の基本方針をつくり、昨年10月には自治省の指定を受けて土地開発公社の健全化策をまとめました。
土地開発公社は当時1,300億円近くの土地を抱えていたわけですが、巨額の行財政改革について役所は責任回避のために問題の解決を先送りしてきました。役所自身の力ではなかなか変えられなかったし、私も含めて市民は全然この問題に気付かず放置してきました。もっと早く「市民がつくる」ことを実践できていれば、少しはましな状態になっていたと悔やんでいます。
役所自身が問題の重大性に気付いて変えていくことは必要ですが、残念ながら自らに責任がかかる問題の解決は先に送りがちです。逆に市民の積極的な働きかけがあれば、役所が自ら改革に乗り出すことも期待できます。
かつて埼玉県川口市の管理職研修で、川崎市の「塩漬け用地」を引き合いに出しながら「役所が自ら問題に気付き、改革を進めてほしい」と述べたことがあります。1999年6月末のことでしたが、早速8月には「塩漬け用地」処理のプロジェクトチームができ改革に動き出したそうです。みなさんも実感しているように、問題提起や提案をする市民の存在感が役所を変えていくのです。
1990年代前半に「子どものみかた電話相談」を設けて、私もボランティアスタッフとして相談に関わりました。そこでは、名前が示すように子どものみかたになることが基本方針で、子どもがどう受け止めているのか。その子どもの訴えをきちっと聞いていこうというスタンスで相談を行いました。確かに事実の究明が必要な時もあるでしょうが、むしろ子どもや親のつらい思いをそのまま受け止めるという関係も必要だと考えたわけです。
電話相談では、体罰、いじめ、不登校などいろいろなホットラインをやりました。これがまさに役所にできない、またはやってはならないことの典型例です。残念ながら川崎でもいくつかのケースがありましたが、体罰について教育委員会の教育相談に行って埒があくでしょうか。スクールカウンセラー等で頑張ってらっしゃる方もいますが、体罰のような学校という権力関係の中での問題をその中で解決するのは難しいことも少なくありません。かえって危険ですらあります。例えば、教育相談で川崎市内の中学校の生徒から先生の体罰について相談がきたとします。そうした場合、相談を受けた人は事実関係を調べるために学校に電話をすることもあります。決して悪意があったわけではないのですが、それによって子どもや親が追い込まれることもあります。
最近は、子どもの虐待とか夫婦間の暴力とか、いろいろ問題になっていますが、役所には私生活に介入できる限界があります。そこでNPOやボランティアがまずは相談を受け付け、必要な場合には役所や警察にバトンタッチをするという役割分担も必要になるでしょう。
役所にできないこと、やってはならないことをまずは市民が担っていきます。そうした中で、役所がやるべき仕事の範囲を見直していくことが今後の課題です。
職員の中にも、役所で何でもやっていくのは無理だから、どんどん市民と協力したいと思っている人はたくさんいます。一方、それと同じくらい、「市民に委ねて大丈夫なのか」「責任をとれるのか」と非常に消極的な人もいます。でもやってみなければわからないのですから、まずは市民の可能性を引き出す努力をやってみたらどうでしょうか。川崎市内でもいろいろな市民活動や市民事業が展開されてきましたが、それらをみると市民の可能性を実感できるはずです。
先ほどお話した電話相談はテレビや新聞に電話番号が出るため、全国各地から電話がかかってきます。だけど、電話のある場所は東京です。場合によっては、かけつけていって直接会って話を聞いてあげたいこともありました。本当はもっと小さな単位 で、市民が悩みごとと向き合えるような仕組みがあればと悔しい思いをしました。そうした仕組みづくりの芽はあちこちで出ていますから、あとはそれをどう伸ばし、増やしていくかです。
市民の可能性を引き出す機会を役所が作ることもあります。川崎市は7つの区ごとの小学校一校で「わくわくプラザ」のモデル実施を始めています。1年から6年までの子どもを放課後預かる事業です。働いている親の子を預かるのが学童保育事業ですが、「わくわくプラザ」は働いてなくても預かってもらえます。働いていなくても、子どもを預けたい人はたくさんいます。そういう親の負担を軽くする仕組みがこれまでありませんでした。
たとえば「うちの子とずっと一緒で疲れちゃった。週1回ぐらい遊びに行きたい」と預けていく人もいるでしょう。とんでもないと考える人もいるかもしれません。しかし、あちこちで起きている虐待が母子の密着カプセルの中で起きていることを考えるなら、密着カプセルから脱出する機会を作るのはいいことだと思います。
川崎市麻生区にある栗木台小学校の「わくわくプラザ」では、子どもを預けている親がボランティアグループをつくったそうです。「わくわくプラザ」の運営には、非常勤公務員、地域のボランティア、いろいろな世代の人が関わっていますが、その人たちだけにお任せにせず、自分たちも参加しようということなのでしょう。
これもひとつの芽です。役所が子どもの居場所の枠組みをつくり、その運営には地域のボランティアや親が参加するのです。そんな市民の力の可能性をいかに伸ばし、応援していくかが、これからの課題だと思います。
5月に私のいるNPO法人「情報公開クリアリングハウス」が「情報公開アジア国際会議」を開催しました。アジア各地から情報公開に関心のあるNGOの人が集まりましたが、韓国の「参与連帯」という落選運動をやってきた弁護士さんの話に強い感銘をおぼえました。彼は「確かに私たちがやっている市民活動や地域活動は、『夢をみている』『実現するはずない』と言われるけれど、ここにいる全員が同じ夢をみれば、それは現実になる」と語りました。
私は「市民がつくる」というのは、まだまだ夢だと思っています。しかし、ここにいるみなさんがそれぞれのやり方、考え方で、同じような夢を見ていけば、それはいつか現実になると確信しています。
本日はどうもありがとうございました。
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